白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

あまりにも価値観が違いすぎる

民間から公務員に転職して思うギャップについて箇条書き

・典型的な人生観を持つ人が多い

大学に入って、就職をして、結婚して、子どもを生んで、家を買って、ローンに苦しんでいることをネタにする。
そんな人が普通にいる。都市伝説かと思っていた。新卒22歳の子たちも普通にそういう価値観を持っていて、入って早々に「結婚、結婚、子ども、子ども」みたいな願望を語ってくる。素直に驚いた。

・えっ、これで良いの?というゆるさ

ブラック企業から転職してくると、まず座って仕事して自分のペースで進められることに驚いた。自分の席があるとは……共用じゃないんだ。
「そんなに気をはって仕事しなくて良い」、「早さより正確性重視で」というようなことを言われる。
「複数のタスクを素早くやれ!」、「120%の力で死ぬ気で働け」、「もっとデキルようになれ、本社にこいや」みたいなことを言う上司が誰もいない。

・できない人が普通にいる

仕事できなくてもクビにならないって、本人には良いだろうが、周りにとっては迷惑きわまりない。おまけにそれが上司だったりする。業務について何も知らない人が上司。
前職では4年間で館長が3人も変わった。一人目はクビ、二人目は異動。デキナイ人はクビになる。もしくは勝手に辞めてくれる。本当はそういう方が組織としては楽なんだけど、例えば本人に障がいがあるとか、作業工程に何らかの問題があるとかだと、切り捨てるだけでは根本的な解決にならない。前職の研修でトヨタ生産方式を習った。誰もがミスなくできて、どんな人が行っても同じ結果になる。たぶんそういう仕組み作りが一番重要なんだろうな。今のようわからん異動連発、統一したマニュアルもない組織構造じゃ無理な話で、現状に疑問を持って行動する職員もいなさそうだ……。

・民間からの転職者ばかり

転職者が多すぎる。体感的に新採でも経験者の方が多い。同期の最高齢は40代。民間ブラック、ノルマがキツイ職種(銀行、保険、住宅営業等)、転勤族(国、県の公務員含む)など、安息の地を求めてやってくる人が多い。果たしてそこは楽園なのか。中小ホワイトや大手企業からの転職だと年収も福利厚生も大幅にダウンするようだ。公務員は年収も低いし、福利厚生もバンバン削られてますからね。ただ、私のような役所の下請けからだと待遇には満足する。そもそも福利厚生などなかったし、年収も250万円(交通費込み額面)、休み年間100日ないシフト勤務からすると、普通に生きられることの素晴らしさを感じる。官製ワーキングプアの人たちは、民間に移った方が働きやすさも待遇も上がると思う。官にいたいなら意地でも正規公務員になった方が良い。

しかし、図書館のイメージが偏りすぎているのでホワイトからの転職と勘違いされてしまう。指定管理って明日自分の仕事がなくなるかもしれない不安定さから皆必死だし、人件費削減+最大の成果を求められるから毎日自転車操業で、離職率も半端ない。おまけに肉体労働なので、本当にイメージで損していると思う。
マジで正規公務員でない大多数の図書館員の方々は一刻も早くその仕事をストライキしても良いレベルですわ!官官格差の深刻さよ。

職場に対する違和感

視野が狭いとは言うけれど、どんな人も自分の経験や価値観を通して物事を語りがちなのだから、視野が狭いという言葉ですら、ただのレッテル貼りに過ぎないんじゃないかと思う。それこそ自分の所属するコミュニティには、自分と似たような価値観を持った人、あるいは自分に共感してくれる人がいる。一緒にいると楽しいだろうけれど、それが価値観の基準になってしまうと、本当は考え方も置かれている境遇も生まれ持った素質も異なる人がいるということを忘れてしまう。だから、自分と違う人を切り捨てるということが起こる。(所謂、個人事業者による会社員のdisりも同じような傾向にある。)
それは、日本の村的な価値観とあまり違わないというか、同じタイプ、同じ技術、同じ価値観を持つ「同質なチームワーク」でやってきた日本的経営とたいして変わらないような気がする。既にそうだけれど、これから外国人の人材(特にアジアから)が大量に日本に入ってきた時に、どれだけ「異質なチームワーク」を作れるか。もっと言えば、働き方が多様化していく中で、どれだけ互いの働き方を尊重できるのか。私が理想としているのは、会社員もパートタイムもフリーランスもリモートワークも外国人も障がい者も女性も子どもも男性もLGBTもみんながみんな共存できる世界。互いに違いがあることが当然と思える世界である。それは、私が今まで障がいや病気により迫害されてきたこと、家庭環境が最悪だったゆえに苦しんできたこと、正規と非正規の狭間で、半官半民の中途半端な存在の中で、もがいてきたことに由来していると思う。


前置きが長くなってしまった。
最近、職場に対する違和感というのも、この相手を理解するということの難しさから来ているんじゃないかと感じる。

公務員はやはり年功序列だった。たとえデキナイ上司でも試験に受かってしまえば管理職になる。公務員はジェネラリストであることが求められる。たとえ適性がなかったとしても、人事異動で全くわからない職場に飛ばされてしまう。

言葉としてわかっていても、自分がその状況に入ると本当に強烈で、今すぐ逃げ出したくなってしまった。

確かにデキナイ人が上司というのはイライラする。それはわかる。若手より給料高いくせに頼りないというのは、本当に辛いものだ。その部署での経験が長く、仕事がデキルと言われている20代、30代の職員にしてみれば、憎悪の対象になってしまうのだろう。

けど、よくよく考えてみれば、50過ぎて全くわからない職場の管理職になったデキナイ上司と、他方で若いから物覚えのよい、体力もあって動き回れ、おまけに部署の経験としてはこちらの方が上のデキル部下。それをマネジメントしろというのは高度で難しいものではないのか。。

私が前職で管理職をやっていた時に「デキル上司」になれたのは、職場で経験が一番長く全部の仕事を知っていたこと、離職率が高いので新人が多く、後輩やバイトも私の言葉に従わざるを得なかったこと(私に聞けば全部わかる、私を頼れば何とかなるという状況)が大きい。ほぼ全員が真っ白な状態で、一から皆で作っていくという方が結束力も高いし、マネジメントしやすいのだ。

私は外部から来たので、職場を客観的な目線で見えている。だから、デキナイ上司はそりゃ皆と同じようにイライラするけれど、制度的にハードルが高いのも理解できる。仕事ができる若手の先輩が神扱いされているのも、まぁ20代なんて吸収力も高いし係で一番長いならそりゃデキルわな、なんて思ってしまったりもする。

それで、上司の愚痴を言い合って雰囲気が悪くなるのはげんなりするし、上司が若手に聞きづらいからか仕事が回らないのはそっちの方が辛い。更に言えば、いつかは自分もそうなるかもしれないという危機感や不安すらある。

そして、この仕事は自分の得意分野ではないこと、二度と得意分野に戻れないかもしれない、苦手なことばかりやらされるかもしれない辛さもある。私は本庁の単純な事務仕事が苦手だ……。もっと地域に出たい。

何より、私の今まで積み上げてきたキャリアを捨てたという実感がでてきて、落胆してしまう。

私もデキル若手たちと一緒になって共感していれば上手く立ち回れるんだと思う。私は中立で、どっちにもつくことができない。もしかしたらそれで嫌われるかもしれない。それでも、一方引いたこの客観的な目線をいつまでも保ちたい。

客観的とはいっても、これがきっと私のレンズを通してみた職場の姿なんだろうな。

生きる権利と死ぬ権利

憲法で生きる権利が保証されているのであれば、果たして死ぬ権利は認められるのか。いや、現状では安楽死(尊厳死)には制限がある。

私は小学生の頃には既に「若いうちに死にたい」という願望があった。中学生の頃の授業で作ったライフプランでは人生の絶頂期である33歳で自殺することになっていた。その計画によると、私は今頃作家になっている予定だったので、恐らく今後も計画通りに進むことはないだろう。私が若くして死ぬことは二度と叶わない。嫌でも人生は続いていく。

たぶん私のしにたいは、普通のしにたいと少し違うような気がする。

人生が辛く辛くてしにたい、とか
生きる希望がなくてしにたい、とか
借金かかえて、お金がなくてしにたい、とか。

そういうのではなくて、ただ生きるのがめんどうくさいのでしぬ、もう十分生きたからしぬ、というような満ち足りた気持ちに似ている。

死にたいという感覚もやはりちょっと違うような気がしていて、昔のような死にたいという願望的なものでなくて、もはや日常的な行為の延長のようなとても自然なもので。そうだ、燃え尽きたような感覚に近いかもしれない。こういうのをバーンアウト症候群というらしい。どんな状態にも診断名をつけたがる最近の精神・心理学会には落胆ですわ。

いろんな意味で蛇足な状態だと感じる。今の人生も、今のブログも。

とても穏やかで充実していて幸せなはずなのに、どこか足りない。理想ではない。私が本当にしたいことは……。


そうこうしてるうちにまた足が動いて、図書館に行ってしまった。気がついたら0門の前に立っていて、JLAの図書館情報学シリーズを一式引き抜いて、全部借りた。もう良いじゃないか、と思う気持ちもたくさんある。けれど、もう一度だけ戦ってみようと思う。これが本当の最後だから。

休む暇がない

今日は(通信制)大学で試験、明日は都1A受けます。


公務員試験から5連勤してまた公務員試験、そしてまた5連勤からの公務員試験……。


しんでしまう


ゴールデンウィークはさして何もやらなかったので、今月末には温泉行こうと思っています。岐阜いきます!

するとスケジュールをたくさんいれてしまい、今月末までびっしりになってしまった。ゆっくり眠れる休みがないことに気がついた。


試験、試験、試験、旅行、勉強、遊び!


5年前に抗うつ剤を飲んでいた時は5連勤→ディズニーランド(昼に舞浜の図書館で1時間仕事の資料集め)→5連勤というアホみたいなことができていた。

さすがに体力も落ちて、くたくたなのに。何故か気力だけで動いてしまう。なぜなのか。


昔、私はデパケンを処方されていたことがあって、自分が躁鬱的な状態にあるのじゃないかと疑問に思っていた。

更に言えば、私はがんばり屋でも体力がある強い女でもない。ただ勝手にそういう風に見えてしまうだけ、体が動いてしまうだけなのだ。

なのに勝手に勘違いされて、激務だったり厳しいところに回されてしまう。
違うんだ、私は元病人で先天的な障がいもあって体力があるわけでもない。そう見えるだけで実際は気力で生きているだけなのだ。

岐阜にいくのはとても楽しみ!富山経由でいくか名古屋経由でいくか。前に島根や広島に行った時も最高によかった。

でも、帰ってきてからの反動が怖い。スケジュールがびっしり埋まっているのも辛い。なぜまったりできないのか、仕事だってぶっ通しでやらないでたまに休憩すれば良いのに、何故か私にはそれができない。一直線にしか走れない。

どうせなら倒れてしまいたいのに、なかなかどうして生き残ってしまう。 何故なのか。

30歳までの勝負

今週の日曜日に都庁・特別区・市役所独自日程の試験がありますね。受験生は最後まで諦めずに力を出しきってください。

実は私も都を受けるか迷いに迷っています。

今の環境は完璧ではないけれど、労働環境にそこまで不満はないです。
主な不満は、仕事が狭い、やりたいことができない、全体的にゆるい、この3つです。
もちろん深夜まで残業、しかもサービス残業の部署や係もあります。けれど、前職に比べれば全てがゆるく感じます。前職には尊敬できる上司もたくさんいたなぁ。そして、一番の不満は仕事の狭さ。希望していない分野で、ずっと同じような仕事をやり続ける可能性もあるようです。キツイ部署ばかり回される人、楽な部署ばかり回る人、給料は同じ等。
http://www.mynewsjapan.com/reports/2124
ちなみにここに書かれていることは兼がね正解です。部署により違いは確かにありますが、単にワークライフバランスというならば、職場として真っ白です。受験生の方々はその点は安心してください。


もしこれが県や政令指定都市レベルになれば、全く違う分野の仕事に当たる確率も高くなるのでしょう。全体で900万人、個々でも県並みの人口を持つ区もある中で、やれることが町村以下の領域があるというのは完全に時代錯誤です。現場を知らない人が制度を作ったり、回しているのは住民自治としてどうなのかと思いますね。

子ども食堂の経営がやりがい搾取だと言われていたのを前にブログで見たのですが、あれも権限が広域(都道府県)にあり、現場を知らない人が制度を決めているからというのも理由にあげられていました。

本当は現場に権限がある方が然るべき対応ができるんですよ。何も知らない広域自治体の人らが机上の空論で制度を作るなんて上手く行くわけないじゃないですか。同じような例であげられるのが児童相談所。近年、設置が基礎自治体(現場)にもできるようになって、開設に向けて動いています。本当はもっと早くに現場任せにするべきでした。子どもが虐待で亡くなってからようやく認められたんですよ。
https://mainichi.jp/articles/20160529/k00/00e/040/163000c

そういう訳で東京はやっぱり特殊です。けれど、私のふるさとはここです。23区のために働きたいんです。

思考停止して今の職場で頑張るのか、東京を捨てて現場と制度、両方の権限を持つ政令指定都市に移るのか、はたまた全く違うところか、全ては30歳までの勝負。

何でもかんでも委託すれば良いってもんじゃない

生活保護の恐ろしい未来図、民間への外注で起きかねないカオスとは
http://diamond.jp/articles/-/168775

【要約】

「福祉事務所の外注化」という可能性

目的は人件費の削減、「いかに安いかが最大の評価基準」

直営時代からの非常勤含めて不安定な待遇から抜け出せなくなる。「生活保護を利用しながら生活保護事業所で働く」というスタイルが当たり前になるかもしれない。


いや、それ本末転倒でしょうに。労働局の非正規職員が求職者支援しながら自分も求職活動している現在のハローワークと同じことになる。

正直これから福祉にも人件費削減の流れがくるのは想像ではなく、現実に起こり得るだろうと言えますね。散々委託の世界(公共サービスの安売り)を見てきたので。民間委託で福祉のプロ職員が増えてサービスの質が向上するなら良い。問題は民営化で間違いなく労働者の待遇や労働環境が悪くなるということ。既に民間の福祉(介護など)業界は激務薄給で定着率が悪い状態なのに、更に専門性が問われる分野を人件費削減の期待を込めて民営化なんて自殺行為に等しい。

民間に委託すれば人件費が削減できるという考え方はもう辞めた方が良いんじゃないか。指定管理だと年収300万円を超えるのは難しいレベル。低いところに合わせると結局全体が低くなるのだからサービスの質が向上するとは限らない。現状が完璧でないのはわかるけど、専門性を高めたいなら、人件費削減という考え方は改めるべき。それをできないほどもうこの国は貧乏なのか。

今はもう亡き人のブログ

同業者のブログを見かけることがある。

ttps://blogs.yahoo.co.jp/fukufukimama/68492748.html
ttps://blogs.yahoo.co.jp/fukufukimama/68492770.html

これは都の職員のブログ。上は遺書だ。もうこのブログの書き手は亡くなっているそう。この方の部署であった水道関連も今は過渡期だ。

参照:https://mainichi.jp/articles/20180115/k00/00e/040/232000c
下水道事業運営権 民間売却を検討 2年間で調査


全くの他人の私がここで云々いう権利はないのかもしれない。けれど、この方の考え方には似ていることが多い。

①死にたいならいつでも死ねるから、今ここで死なない。(好きにする。)
②精神科や医者への不信感
③もう十分に生きたという感覚
④人員の削減、民間委託といった公共サービスの安上がり運営への危機感
⑤真面目に働く人ほど馬鹿を見る組織

ブログを見て勝手ながら共感してしまった。仕事柄やり取りが多いので、もし生きていていたら、別の部署で関わりがあったかもしれない。

この方は女性ながら35歳で課長になり、10年も管理職をしていた本当にすごい方だ。組織として巨大であり、出世競争の激しい都で、年齢的に最速で課長になっている。めちゃくちゃデキル人だ。そんな人が、がんばっても報われないなんておかしい。結局、クビにならない以上は、デキル職員にデキナイ職員を組ませるというのは合理的なのか。

もし私が今の組織で出世したとしても、同じような道を辿るのではないかとか、そんなことを考えてしまう。たぶん他に移ってもあまり変わらない気がする。育児や介護や病気のある「特別」な職員になってしまえば、良いのかもしれない。けれど、私にはやりたいことがあって、「特別」な職員にもなりきれないのである。