白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

【うんざりする】女子会の会話は99.9%恋愛と下ネタ【事実】

女が集まって飲んだり食べたりしながらダラダラ他愛もない話しをすることを世間では「女子会」というそうだ。 20後半も過ぎて「女子」って頭おかしいんちゃうかと言いたいところだが、普通に店側も「女子会コース」を用意していたり、女性たちも「女子会じゃ~」とさも当たり前に連呼したりするもんだから、「あぁこういうのを女子会って言うんだな」と私は日常語句として認識できるようになったのである。

その女子会は、「最近どう?」という軽い挨拶みたいな言葉から始まる。本当に他愛もない世間話のようなスタート。女好みの甘い酒にサラダやピザをつまみながら、再会の一時を噛みしめる。だが、次第にそれは会社のうざい上司の愚痴や仕事の不満といった負の部分に触れていく。

「あ~雲行き怪しくなってきたな」

と、思った先に待っていることは恋愛話とエロトークである。 ほぼ100%の領域で恋愛話にぶち当たる。どんなグループでも。私はこれが不思議でならない。 しかも、「あの子が好きなのどうしよう」なんて可愛いもんじゃなく、誰と誰が不倫しているとか、彼との夜が不満とか、好きな体位とか、歴戦の経験談とかもうぶっちゃけ下品なこと満載なのだ。 澄ました顔してるくせに普段そんなこと考えてるの?というレベル。ただ喋ってるのを聞いているだけならまだ良いが、奴らは「で、綾長はどうなの?」とこちらに意見を求めてくる。

そんなネタねーよ、と。

20後半で男性と付き合ったことも会話したこともほぼないような魔女がいるっていうことを彼女たちは知らない。もっというと、恋愛も何も興味がない女がいるということを彼女たちは理解できない。人気と言われる女性向けブログですら、ほぼ確実に恋愛や男の話が絡んでくる世の中。

 最近ようやく気付いた。女って恋愛に興味があるんだ……と。

仕方がないから、でっち上げの恋愛話をその場しのぎで話したりもするが、もうこれ以上はどうにもならない。 恋愛、男、結婚、出産に全く価値を感じないのだ。 原因は何だろう。一人でも何でも出来てしまうし、金にも困っていない、そもそも恋愛の果てにあるものに何の感情も抱けない。

私の両親は、公務員同士の余り者が、互いの体裁のためにお見合い高齢結婚したもんだから、仲も良くなかったし、近々熟年別居する予定だ。このように望まれた結婚だけが全てではない。 もし仮に自分が結婚までたどり着いて、子供が生まれたとしても、遺伝で精神疾患になる可能性もある。間違いなく苦労するだろう。そんなリスクを犯してまで結婚や出産をする必要性があるのだろうか。(あくまで自分の人生観。一般的な価値観とは異なる。)そんな人間はひっそりと一人で暮らした方が良いですよ、と誰しも思うだろう。

そう考えてくると、女子会で飛び交う恋愛や下ネタもやはり興味が持てない。興味が持てないなりにも知識で対抗している訳だが、いつか限界がくるか、あえて触れられなくなるか。年齢を重ねれば重ねれほど、杜撰な扱われ方をしていくのかなと思ってしまう。恋愛するのも結婚するのも人として普通のことだと思われているから 所謂異端のような扱いを受けるのかな。親も例によって共済組合にある公務員とその家族向けの結婚相談所に入会したらどうかと進めてくる。 「女は結婚すれば仕事しなくても良いんだから」と古くさい考え方は意外と近くに根付いているものだ。もう駄目になったら別居しつつ偽装結婚してくれる相手でも見つければ良いか。 偽装結婚すれば、女子会のくだらない恋愛や下ネタに「普通の人間」として参加することができるようになるのか。 私にはわからない。

ただこれだけは真実。

女子会の会話は99.9%恋愛と下ネタ。

公務員司書採用 専門試験情報

高倍率 司書採用試験

図書館司書や学芸員といった公務員資格職は高倍率の難関試験だ。
行政事務と違って採用数がそもそも少ないため、どこの自治体も倍率が10~30倍程度ある。場所によっては、県庁70倍、国立国会図書館総合職100倍、私立大学図書館では300倍と途方もない数字。
非常勤や指定管理者(民間委託)ですら競争率が高い現状の中、こうした現場で働きながら直営正規を目指している方もいるのではないか。かく言う私もかつてはこの業界の関係者だった。だからこそ言える。

直営正規以外の司書なんて入っちゃ駄目よ、と。

いくら委託先の正社員でもね。
どうしてもやりたいのであれば、悪いことは言わないから司書ではなく行政で入って、異動願いを出し続けた方が良い。

toyokeizai.net

このような記事も話題になっているが、これは氷山の一角である。
正直、直営の非常勤であれば業務も決まっていて定時で帰れてサービス残業もないだろうし、身分相応ではないかと思ってしまうけれど。
ネタは尽きないが、これ以上の話は残さない。こんなネットの隅でも身バレが怖いので。日本全国から関係者がきているはずの図書館イベント等で知り合いに出会う確率が高すぎるほどに、この世界は狭いのである。

それはそうと、気分転換に某市の司書採用試験を受けてきた。
司書の採用試験は行政と違って過去問がひどく少ない。専門試験対策をどうするか悩む者も多いだろう。
私が知る限り有効な問題集は、
図書館職員採用試験 対策問題集 司書もん【全3巻】」
図書館職員採用試験問題集・解説―「旧・国家公務員II種図書館学」に学ぶ」

ぐらいだ。
前者は記述式の都立図書館や国立大学法人司書区分の採用試験向け。ページが薄い割には高い問題集だった。ちなみに後者は国家Ⅱ種での採用が廃止されたので、絶版されている。国立国会図書館で閲覧するのが良いだろう。あとはインターネットで受験者が残した問題を検索するか、大学か予備校を頼るくらいか。

せっかくなのでこれからの受験生に向けて、覚えている限りでこんなのが出たというのを記録に残しておく。
【専門択一試験40門120分】※教養試験120分、論文60分あり。

学校図書館法、社会教育法などの定義
図書館の自由に関する宣言で挙げられていることは?
・NDCが参考にした分類法は?
・検索の精度率、再現率の計算
・wwwの定義 
・ベン図から検索式を出す(and or not)
・有料データベースの定義 
国立国会図書館の提供サービスの定義
・パネルシアター、ペープサートなどの定義
・読み聞かせ、ブックトークなどの定義
・巻子本(かんすぼん)読み方

などなど。基本的に定義の間違い探しの問題が多かった印象。
たとえば、1、パネルシアターとは〇〇であるという選択肢は、〇〇の部分がエプロンシアターなので×など。
都立図書館の採用試験のような全問記述式よりは簡単だった。

しかし、例によってとんでもない倍率なので期待はしていない。
民間委託に国立T大学の人が入ってきちゃうような世界だ。どうせ博士崩れも受けているだろう。
記念受験できてよかった。

統合失調症と誤診された時に起きた謎の症状とその予後について

私はかつて「重度」の精神障害者であった。
高校2年生の時に起きた違和感の正体とその誤診による闘病生活について思ったことを記録に残したい。
(生々しいので閲覧注意。)

目次

あの頃の私は真面目なだけが取り柄の健常者だった。

高校2年生の時の話だ。
当時の私は、中高一貫の私立女子校の特進クラスで国立大学を目指していた。
成績は悪くなかった。偏差値は文系三教科なら70あった。
事実上最後になった模試の結果は、第一志望の地方国立T大学はC判定、難関私立W大学はA判定、M大学はA判定(ここは滑り止めという話であった)
両親は私学難関のWとK大学出身だったので、そのくらいの学歴は欲しかった。
あの頃の私はまだ健常者で、勉強しかすがれるものがなかったというのもあって、ひたすらに参考書とにらめっこをしていたかに思う。
他人は裏切ることもあるが、勉強は自分を裏切らないと本気で信じていた。

発病と違和感の正体

「臭い」
この言葉に今でも反応することがある。

最初にその違和感に気が付いたのは、後ろの席に座っている人が、こそこそと「なんか臭い」と話しているのを聞いたことだ。
まさか自分のことだとは思わなかったし、ただの気のせいだろうと放っておいた。
しかし、「屁の臭いがする」と呟かれたり、咳き込まれたりするうちに、それは段々確信に変わっていった。
「自分の知らない内に漏れているんじゃないか」と。
実際に漏れ出していた。自分の意思とは無関係に勝手に屁が出ていたのである。
(正直、ネットの世界にこんなことを残すのも抵抗感があるが、こういう病気があることを知ってもらえるならと思い公開することにした。)

とうとう学校に通えなくなり、どうしたら良いかわからずに発狂した私は、勇気を出して親に
「ガスが勝手に漏れ出して周りが臭いと言う」
と、相談した。
けれど、誰も信じてくれなかった。
妄想だと思われたのか、そのまま精神病院にぶちこまれた。
先生に同じことを言っても、「無理をしているとなる病気だ」と訳のわからないことを言われ、フルメジンエビリファイを処方された。
(この薬は強力な抗精神薬である。)

診断名は統合失調症だった。
ガス漏れを妄想だと思われたのである。
後に自分で調べた結果、過敏症腸症候群のガス型であったと知るまで、誤診されたまま薬漬けの廃人生活を余儀なくされたのだ。

高校中退の危機、死に物狂いで学校にいくも、ガス漏れは止まらず
「いつまで学校きてるんだよ!早く死ねよ」
と、暴言を吐かれたこともあった。
本当にその通りだと思った。自殺を試み始めたのもこの頃からだった。

悪化する病状

不思議なことに、統合失調症のような症状も現れ始める。以下はその一例である。

ある夜、誰かが扉の前にいるような気配に目が覚める。
すると、ピーポーピーポーと、救急車のサイレンの音が聞こえてくる。
「火事だ!」と、私は思って怖くて目を閉じるも、ずっとサイレンの音は鳴り止まない。
頭の中でサイレンがピーポーピーポーと追いかけてくるのである。
あ、私は殺されるのだと思い、ぱっと目を開けると、黒い影が大量に目の前にいる。
怖くて布団の中で泣きながら夜を明かした。

俗に言う幻覚や幻聴だったのかもしれない。

電車にも乗れなくなっていた。ガスが漏れる不安の他に「電車の椅子に座ると爆発して死ぬ」と思っていたのである。
妄想だったのか。

今思えばおかしいと笑えるが、当時の私には恐怖であった。
当然、こんな状態なので高校は卒業したものの大学受験は受けに行くことでもできず失敗。(センター試験は特別処置で受けられた。)この状態で男のいる環境は無理だと女子大に進学する。

闘病生活で終わった青春時代

進学してからも闘病生活。薬の副作用から寝たきり状態になっていた。
苦しくて自殺を試みるも失敗。
もう自分は死ぬ才能がないと痛感し、このままでは本当にまずい、何とかしなければと生き延びる方法を考えるようになる。
とにかく薬を辞めようと思った。この一連の体調不良は薬のせいだと。
そして、自分で勝手に減量することにした。(勝手に薬を止めたり、減量するのは本当はいけません)

薬が抜けるまで苦しかったが、この現状を打破したかったので、耐えられた。
その後、気合いで大学を卒業し、就職も決まった。
医者も精神科から心療内科に変えた。(既に精神科は変えまくっており、ジプシー状態になっていた。内科では過敏性腸症候群と診断を貰っていたが、薬はビオフェルミンしか処方されず、効かなかった。)

心療内科に変わってから、やはり私は統合失調症ではなかったと確信する。
その医者は過敏性症候群のことも理解しており、そんな状態なら、生きているのも辛かっただろうと共感してくれた。
薬は抗うつ剤レクサプロと抗不安薬デパスなどに変わった。それが効いたのかみるみる内に元気になった。

そして、現在思うこと

トラウマのようなものは未だにあるが、過敏性症候群も一連の謎の症状も今はない。
それに履歴書上ではブランクがないので、「普通」を演じることができる。
前職では明るく元気、愛嬌があるという謎の理由で出世もした。
社会人になれたのは不幸中の幸いだったかと思う。
思春期に発病することが多い精神疾患は、その後の人生をめちゃくちゃにしてしまうことも少なくない。
私は運が良かった方だ。立ち直れなかったら今頃、寝たきりのままだったかもしれない。
精神疾患は病名の判断が曖昧な部分も多く、誤診されることや薬漬けに合うこともある。
もちろん、薬や心理療法が効き、私のように社会復帰する人も多いから、全てが悪いとは思わない。
けれども、最初にかかった病院が統合失調症と誤診しなければ、そもそも病気にならなければ、また違った未来があったのかなとしんみりしてしまうのだ。

この病気が全ての医者に理解されること、対処法が確立されることを願ってならない。
この世界には過敏性腸症候群のせいで学校を中退したり、社会に出られない人もいることを忘れてはならない。

過去は克服するものではない、大事なのはこれからをどう生きるか

「あの時こうしていれば・・・」、「こうならなければ・・・」

こんな考えに囚われた経験はありませんか?

人生の分かれ道において、自分の中では最善の選択をしたつもりでも、必ずしも良い結果がついてくるとは限りません。

何時だって後悔は先に立たず、残っているのは目を逸らしたいような「現実」だけ。

私自身もかつては人生の失敗を後悔し、過去を克服したい、塗り替えたいと考えてきました。

けれども、今は違います。悩んだって過去を変えることはできない。

過去という事実があるだけだとようやく割り切れるようになったのです。

過去は塗り替えるものでも、取り戻すものでも、克服するものでもない。

大事なのは、「これからをどう生きるのか」だと。

生きるか、死ぬかの二択で考えない

「鬱だ死のう」

もうどうにもならなくなった時、人は死という選択肢を思い浮かべてしまいます。

でも、少し待ってみましょうよ。本当にすべきことはそれですか?

もっと違う道がある、今は見えないけれど、一から作っていくこともできるのです。

 

私も「どうせ死ぬからこれからどうでも良いや」と思っていた時代がありました。

今になっては「なんてもったいないことをした!」と思っています。

「どうせ死ぬから」なんて思っていても、生きるのが難しいのと同じように、死ぬのだって難しいのです。何だかんだで生きている確率の方が高いです。

死ぬか、生きるかに囚われてしまうと、大事な時間を失ってしまう。

楽に死ぬ方法なんてないんだから、楽に生きる方法を探した方がよっぽど良いですよ。

生きていれば変化が訪れることもあるのです。

失った時間は戻らないし、過去を取り戻すことだって物理的にはできません。

けれども、未来を作ることはできます。

今を考え、明日を生きる

数年前に出会った文献にこんな言葉がありました。

ドイツ連邦共和国大統領リヒャルト・フォン・ヴァインゼッカーが、

ドイツ敗戦40周年にあたる1985年5月8日に行った演説からの抜粋です。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

(「荒れ野の40年」岩波ブックレット

これは、戦争というかなり大きな話であります。個人レベルに変換できるものではないとはもちろん思います。それでも、これを最初に目にしたとき、過去を受け入れて、これからを生きることの大切さを実感する言葉にもなったのです。

過去を変えることはできなくとも、今を生き、未来は作ることができる。だから、一からになっても良いじゃないですか。「これからを生きる」ことを考えましょうよ。と、私は思ってならないのです。

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マイノリティ(少数派)でも自己主張できる時代

最近、ネット界隈を賑わす様々な話題。

社会階層がどうだの貧困JkがどうだのポケモンGOがどうだの。

今までずっと仕事しかしていなかった私にとって、ある意味それは新鮮な体験でした。

かつては発言権すら許されなかった少数派(マイノリティ)も主張できる時代であったと今更のように実感するのです。

人の考えは全てを分類することができない

どうも分類が大好きな元したっぱ図書館員です。

図書館って全ての本が数字で分けられているではないですか。

たとえば、ビジネス関係は3門、料理は5門、小説は9門など。

ただ、人の考えはそんな簡単に分類することができないですね。

対立する考えはもちろんありますし、同じことを主張しているようでも、やはり個々ですべてが同じわけではない。

わかりやすく集団を色づけするために、〇〇主義や〇〇派なんて囲いづけることは昔からありますが、そういう学派みたいなものは後世にも残るようなものです。

力のある思想は多数派と同等と考えても良いのではないでしょうか。

しかし、今日はほんのちょっとした発言でも一度火をつければ力を持つようになります。

マイノリティでも自己主張できる時代、少数派があたかも多数派のように力を持つこともあります。

多様化した意見をこれは〇〇主義、これは〇〇派なんて簡単に分類することはできないでしょう。

現代では多数派は少数派を沈黙させない

ドイツの社会学者にE.ノエル・ノイマンという人物がいました。

彼女はマスメディアの世論形成についてこんな考えを残しています。

マスメディアは、一般に多数意見を報道することが多い。

この報道は単に「多数意見は何か」を伝えるだけではなく、

報道に接した人が少数意見と気が付けば他者の前で発言することをためらうようになる。

反対に多数意見と同等であった者は自信を持って自分の意見を主張するようになる。

こうして少数意見は、あたかも螺旋をたどるように、しだいに沈黙へと追いやられていくのである。

これを沈黙の螺旋という。

(参考:まるごとパスワードNEO)

マイノリティはこうして社会の場に現れること自体が少なかったのです。

昔はテレビや新聞の報道はかなりの力を持っていたと思いますし、多数意見に従わなければ「非国民」と称された時代もありました。

けれども、現代では私にとっては人道に外れるような道徳的ではない意見も溢れています。日本には思想および良心の自由がありますから、内心にいかなる意見を抱いていても国家権力から介入されることはありません。※他人に迷惑をかけたら別です。

かつては沈黙に追いやられていた意見も爆発的に広がっていく可能性を帯びています。貧困jkの報道も溢れた情報を取捨選択し、自分自身で判断をできるようになった現れではないでしょうか。そういう意味では、本当に「自由な時代」ですし、我々は常に考えて自己主張をしているといって良いでしょう。どの集団に属するのか自らで判断しているといっても良いかもしれません。

日本人は自己主張しないとはよく言われますが、必ずしもそうとは私は思いません。日本文化にそういった特徴があることは事実ですが、元来、人間は社会的生き物ですから。

私は、どんな人間でも他者の真似をして自我を形成する、他者の存在の中で様々な仮面を被り、その役割に応じたパーソナリティーを使い分けていると考えていますので、全くもって他者から影響を受けない人はいないと思っております。

マイノリティとマジョリティの共存時代

私のようなマイノリティの塊ですらこうしてネットの片隅で自己主張できるわけですから良い時代になったとしみじみ思います。この雑文を見てくださった方、貴重な時間を使っていただき、ありがとうございます。

私はかつて「社会的弱者」でありましたが、こうして地獄から這いずってくることができました。未だに地獄の淵で喘いでいる方々を救う蜘蛛の糸となるために勉学を続けております。再び公共サービスに携わるために、マイノリティでも生きております。

皆さんに幸あれ。

男性恐怖症を拗らせるとこうなる

気がついたら彼氏いない歴=年齢のまま20後半になってしまった。
もうこの年齢になると後戻りはできないと感じる。
男性恐怖症を拗らせると異性が宇宙人のように見えてくるのだ。
というか現実世界で「15年以上『女社会』で生きてきて、お客さまと先生以外の男性とほぼ会話したことがありません」なんて言うと大抵の人にドン引きされるだろう。
ああ、私は普通になりたいだけなんだ。
最近は若い講師に質問をしに行っただけなのに、なぜか反射的に涙が出てしまうほどの重症になっていた。
お客さまや上司は大丈夫だったのに…。
これは真面目に詰んでいるんじゃなかろうか。
面接とかどうすんだ。

過去に出会った男性とは、ほぼ100%親密になりかけるのだが(恐らく本能かもしれない)、いざ告白されたり、付き合うとなると、すぐに逃げ出してしまう。
最高記録は数日。
付き合おうとなって、デートの日程を決めて、いざ出陣となった時にどうにも耐えられなくなってドタキャン。
そして、そのまま連絡先を全て変更して着信拒否にし、社会的に逃亡したのである。
彼は友人の友人だったので、聞いた話では「1週間でフラれた男」としてトラウマになっているという。本当にすみません。
その他の男性も全て酷い別れ方をした。(付き合ってはいない)

もうこれは駄目だ、詰みだ。一人で生きていくしかない。願わくは女だけの世界に行きたい。サッフォーの築いたレスボス島で哲学について語り合いたい。

いい年してる癖にとんだ馬鹿女だ…。
せめて男性の前で泣かないようにしたい。
異性を異性と意識しないようにするには一体どうしたら良いのだろうか。
今後の課題である。

人生に疲れた時は美しい音楽に癒されよう

全国の社畜の皆様、そして後がない資格浪人の皆様、どうもおつかれさまです。

 

業種によっては本当に今の時期って忙しいんですよね。

子どもは夏休み、大人はお盆休みで、お年寄りは町会のイベントに駆り出され、

もうどこ行っても人がいる状況。

資格・公務員浪人は年中無休で勉強漬けで、

今日も予備校の自習室は、ため息と電卓を叩く音がどこからともなくこだまする。

 

そう、我々は癒しが欲しいのです。

現実でも疲れているのにインターネッツでマウント取り合う人々の気が知れない。

そんな時は美しいものを見ましょう。聞きましょう。

今日は筆者のおすすめ癒し音楽を紹介します。

天使のような少女の歌声「Somewhere Over The Rainbow


サムホエア・オーヴァー・ザ・レインボー/コニー・タルボット

ミュージカル映画オズの魔法使い」の劇中歌。

この曲だけでも素晴らしいのですが、

コニ―・タルボットの舌足らずでも力強い歌声に癒されます。

この少女は6歳の時に英国の歌唱オーディション番組で決勝まで勝ち進んだ実力の持ち主。現在は歌手として活躍しています。

涙なしには聞けない「I'm always close to you」


岡崎律子 - I'm always close to you

癒しと言えば岡崎律子さん!

何度もその歌声には励まされてきました。どの曲も本当に勇気をくれる。

中でも彼女の遺作であるこの曲は、生きる勇気にもなりました。

幻想音楽といえばzabadak「ガラスの森」


zabadak - Glass Forest

民族系音楽って何故だか心が落ち着くのです。

特にzabadakは口ずさみたくなるフレーズが多いのが特徴ですね。

らいらいらーい!

プログレと甘い声のハーモニーが素晴らしい「深く眠れ」


Barbarian on the Groove :: 深く眠れ

なんと前奏が2分もあります。このプログレ感大好きです。

霜月はるかの甘い声と後ろでガンガンなるベースが最高!

眠れないときこの曲をかけるとウトウトできます。

失われない永遠の美しさ「I Need To Be In Love」


I Need To Be In Love (青春の輝き) / CARPENTERS

英語の授業でカーペンターズに出会ってからカレンの歌声に一目ぼれしました。

本当にこの方の声は美しい。歌詞も共感できる。

カレンが一番好きだった曲だそうです。

疲れた時こそ癒しをさがそう

人生に疲れた時こそマイナスな感情に支配されないよう癒しを探しましょう。

意外とこの世には美しいものが転がっているものです。

是非、あなただけの癒しを見つけてください。

さぁ、明日も出発だ!