白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

公務員試験、次が最終面接

尾てい骨骨折中に受けた某自治体の集団面接とグループディスカッションが通っていました!
正直、周りのレベルが高いな~と感じて落ちたかと思っていただけに嬉しいです。
次が最終面接!ここまで来たからには最終合格したいですね。
落ちても本番は来年ですからまだまだ頑張れますよ。

さて、せっかくなのでこれから公務員試験の集団面接やグループディスカッションを受ける方向けに様子など残しておきます。何かの参考になれば幸いです。

【グループディスカッション】
集合場所に行ってみると2、30名くらいの人がいました。グループディスカッションの班分けなどが書かれている紙が配られ、軽い説明あり。その後、違う部屋に移動してディスカッション開始という流れでした。
グループディスカッションはチーム戦。全員で合格するつもりで挑みました。場所を移動する際に、少し自己紹介や軽い会話をして場馴れしとくのも良いですね。
ディスカッションは、司会を一人決めて、用意されたお題に対して自分の意見を出す基本な感じでした。
やっかいなのが、この司会。司会は難易度が高く、成功すれば配点が高く、失敗すれば司会だけ落ちることもあるそう。だから皆やりたがらず、決めるのにどうするか……な空気がまず流れましたね。
班に難関大学の院生がいたので、マジやってくれ~って一瞬思ったのですが、何故かその学生が私の方を見て
年功序列でどうでしょうか」
と、言ってきやがったのです!!
いや、確かに私が一番年上かもしれませんが、司会の押し付けというか何というか……。
決まらないのも困るので
「では、私がやらせて頂きます」
と、司会を買ってでましたよ。グループディスカッション初めてで司会でした。

流れは以下の通り。
①複数あるお題から一つ決める
②お題の意見を一人ずつ言う
③討論
④まとめの意見を一人ずつ言う
でした。とにかく時間が少ないです。
討論部分は、周りの意見に同調しながら自分の意見を付け加える戦法を取りました。後は発言が少ない人に振ったり。
以前コミュニケーション論で勉強した「おうむ返し」も使えました。たとえば

Aさん「私は○○は××だと思います。なぜなら□□だからです」
と、きたら
綾長「□□から××なんですね。私も賛成です。それは△△で~」
と、前の人が言ったことをそのまままとめる(鳥のおうむのように返す)か、または自分の言葉に言い換えてわかりやすくする感じですね。無難な感じで進めました。
司会しか役職決めなくて良かったので、何だかんだで司会やりながらタイムキーパーも書記もやりました!前職もそんな感じで同時進行で仕事してたので、経験が生かされています。しかし、全部一人でやるのはオススメはしません(笑)

【集団面接】
グループディスカッションの後は集団面接。だいたい40分くらいですかね。聞かれたのは自己紹介や志望動機、後はその自治体独自の取り組みについていろいろ聞かれました。公務員面接のテンプレ質問が全然聞かれませんでした。なので、質問の答えを丸暗記するというよりは、会話をすると思っていた方が良いですね。もちろん答えを用意したり、練習するのも必要ですが、民間の面接と同様に何聞かれるかはわからないです。駄目でも自分の言葉で頑張って答えようとしている感が評価されたんでしょうか?同じ班の人に「わかりません」と答える人もいましたけど、何でも良いから言った方が良い気がしましたね。

以上、そんな感じで二次選考に通りました。
次が最終面接です。無職脱出なるか!?仕事決まったら焼き肉食べたいです。

【うんざりする】女子会の会話は99.9%恋愛と下ネタ【事実】

女が集まって飲んだり食べたりしながらダラダラ他愛もない話しをすることを世間では「女子会」というそうだ。 20後半も過ぎて「女子」って頭おかしいんちゃうかと言いたいところだが、普通に店側も「女子会コース」を用意していたり、女性たちも「女子会じゃ~」とさも当たり前に連呼したりするもんだから、「あぁこういうのを女子会って言うんだな」と私は日常語句として認識できるようになったのである。

その女子会は、「最近どう?」という軽い挨拶みたいな言葉から始まる。本当に他愛もない世間話のようなスタート。女好みの甘い酒にサラダやピザをつまみながら、再会の一時を噛みしめる。だが、次第にそれは会社のうざい上司の愚痴や仕事の不満といった負の部分に触れていく。

「あ~雲行き怪しくなってきたな」

と、思った先に待っていることは恋愛話とエロトークである。 ほぼ100%の領域で恋愛話にぶち当たる。どんなグループでも。私はこれが不思議でならない。 しかも、「あの子が好きなのどうしよう」なんて可愛いもんじゃなく、誰と誰が不倫しているとか、彼との夜が不満とか、好きな体位とか、歴戦の経験談とかもうぶっちゃけ下品なこと満載なのだ。 澄ました顔してるくせに普段そんなこと考えてるの?というレベル。ただ喋ってるのを聞いているだけならまだ良いが、奴らは「で、綾長はどうなの?」とこちらに意見を求めてくる。

そんなネタねーよ、と。

20後半で男性と付き合ったことも会話したこともほぼないような魔女がいるっていうことを彼女たちは知らない。もっというと、恋愛も何も興味がない女がいるということを彼女たちは理解できない。人気と言われる女性向けブログですら、ほぼ確実に恋愛や男の話が絡んでくる世の中。

 最近ようやく気付いた。女って恋愛に興味があるんだ……と。

仕方がないから、でっち上げの恋愛話をその場しのぎで話したりもするが、もうこれ以上はどうにもならない。 恋愛、男、結婚、出産に全く価値を感じないのだ。 原因は何だろう。一人でも何でも出来てしまうし、金にも困っていない、そもそも恋愛の果てにあるものに何の感情も抱けない。

私の両親は、公務員同士の余り者が、互いの体裁のためにお見合い高齢結婚したもんだから、仲も良くなかったし、近々熟年別居する予定だ。このように望まれた結婚だけが全てではない。 もし仮に自分が結婚までたどり着いて、子供が生まれたとしても、遺伝で精神疾患になる可能性もある。間違いなく苦労するだろう。そんなリスクを犯してまで結婚や出産をする必要性があるのだろうか。(あくまで自分の人生観。一般的な価値観とは異なる。)そんな人間はひっそりと一人で暮らした方が良いですよ、と誰しも思うだろう。

そう考えてくると、女子会で飛び交う恋愛や下ネタもやはり興味が持てない。興味が持てないなりにも知識で対抗している訳だが、いつか限界がくるか、あえて触れられなくなるか。年齢を重ねれば重ねれほど、杜撰な扱われ方をしていくのかなと思ってしまう。恋愛するのも結婚するのも人として普通のことだと思われているから 所謂異端のような扱いを受けるのかな。親も例によって共済組合にある公務員とその家族向けの結婚相談所に入会したらどうかと進めてくる。 「女は結婚すれば仕事しなくても良いんだから」と古くさい考え方は意外と近くに根付いているものだ。もう駄目になったら別居しつつ偽装結婚してくれる相手でも見つければ良いか。 偽装結婚すれば、女子会のくだらない恋愛や下ネタに「普通の人間」として参加することができるようになるのか。 私にはわからない。

ただこれだけは真実。

女子会の会話は99.9%恋愛と下ネタ。

公務員司書採用 専門試験情報

高倍率 司書採用試験

図書館司書や学芸員といった公務員資格職は高倍率の難関試験だ。
行政事務と違って採用数がそもそも少ないため、どこの自治体も倍率が10~30倍程度ある。場所によっては、県庁70倍、国立国会図書館総合職100倍、私立大学図書館では300倍と途方もない数字。
非常勤や指定管理者(民間委託)ですら競争率が高い現状の中、こうした現場で働きながら直営正規を目指している方もいるのではないか。かく言う私もかつてはこの業界の関係者だった。だからこそ言える。

直営正規以外の司書なんて入っちゃ駄目よ、と。

いくら委託先の正社員でもね。
どうしてもやりたいのであれば、悪いことは言わないから司書ではなく行政で入って、異動願いを出し続けた方が良い。

toyokeizai.net

このような記事も話題になっているが、これは氷山の一角である。
正直、直営の非常勤であれば業務も決まっていて定時で帰れてサービス残業もないだろうし、身分相応ではないかと思ってしまうけれど。
ネタは尽きないが、これ以上の話は残さない。こんなネットの隅でも身バレが怖いので。日本全国から関係者がきているはずの図書館イベント等で知り合いに出会う確率が高すぎるほどに、この世界は狭いのである。

それはそうと、気分転換に某市の司書採用試験を受けてきた。
司書の採用試験は行政と違って過去問がひどく少ない。専門試験対策をどうするか悩む者も多いだろう。
私が知る限り有効な問題集は、
図書館職員採用試験 対策問題集 司書もん【全3巻】」
図書館職員採用試験問題集・解説―「旧・国家公務員II種図書館学」に学ぶ」

ぐらいだ。
前者は記述式の都立図書館や国立大学法人司書区分の採用試験向け。ページが薄い割には高い問題集だった。ちなみに後者は国家Ⅱ種での採用が廃止されたので、絶版されている。国立国会図書館で閲覧するのが良いだろう。あとはインターネットで受験者が残した問題を検索するか、大学か予備校を頼るくらいか。

せっかくなのでこれからの受験生に向けて、覚えている限りでこんなのが出たというのを記録に残しておく。
【専門択一試験40門120分】※教養試験120分、論文60分あり。

学校図書館法、社会教育法などの定義
図書館の自由に関する宣言で挙げられていることは?
・NDCが参考にした分類法は?
・検索の精度率、再現率の計算
・wwwの定義 
・ベン図から検索式を出す(and or not)
・有料データベースの定義 
国立国会図書館の提供サービスの定義
・パネルシアター、ペープサートなどの定義
・読み聞かせ、ブックトークなどの定義
・巻子本(かんすぼん)読み方

などなど。基本的に定義の間違い探しの問題が多かった印象。
たとえば、1、パネルシアターとは〇〇であるという選択肢は、〇〇の部分がエプロンシアターなので×など。
都立図書館の採用試験のような全問記述式よりは簡単だった。

しかし、例によってとんでもない倍率なので期待はしていない。
民間委託に国立T大学の人が入ってきちゃうような世界だ。どうせ博士崩れも受けているだろう。
記念受験できてよかった。

もしあなたが受験日に尾てい骨を骨折していたら

先日、階段から落ちて尾てい骨を骨折しました。
尾てい骨ってのはお尻の方にある骨です。
あれから1週間ちょっと経ちまして、まだ少し痛みはありますが、問題なく椅子に座れるまで回復しました。
しかし、痛みに耐えながらの公務員試験は辛かった。もぞもぞ動いて落ち着きない人みたいになっていたかと……。

尾てい骨を骨折したら安静にしているのが一番良いそうです。
そうは言っても社会人の方だとなかなか休みを取れない人もいるでしょう。
日常生活でも「座る」、「しゃがむ」は意識しなくてもやりますからね。激痛からは逃れられない。

医者からはドーナッツ型のクッションを使えと言われていたので、こちらを買って試してみたものの、うーんあまり効果は期待できませんでした。
ないよりはマシな程度。

お医者さんの円座クッション ブルーグレー

お医者さんの円座クッション ブルーグレー

ただ、普通に公務員試験にこのクッションを持参して受けることができましたので、
もし受験日に尾てい骨を骨折していても、クッションがあれば大丈夫ですよ、と。

そんな人いないか!

統合失調症と誤診された時に起きた謎の症状とその予後について

私はかつて「重度」の精神障害者であった。
高校2年生の時に起きた違和感の正体とその誤診による闘病生活について思ったことを記録に残したい。
(生々しいので閲覧注意。)

目次

あの頃の私は真面目なだけが取り柄の健常者だった。

高校2年生の時の話だ。
当時の私は、中高一貫の私立女子校の特進クラスで国立大学を目指していた。
成績は悪くなかった。偏差値は文系三教科なら70あった。
事実上最後になった模試の結果は、第一志望の地方国立T大学はC判定、難関私立W大学はA判定、M大学はA判定(ここは滑り止めという話であった)
両親は私学難関のWとK大学出身だったので、そのくらいの学歴は欲しかった。
あの頃の私はまだ健常者で、勉強しかすがれるものがなかったというのもあって、ひたすらに参考書とにらめっこをしていたかに思う。
他人は裏切ることもあるが、勉強は自分を裏切らないと本気で信じていた。

発病と違和感の正体

「臭い」
この言葉に今でも反応することがある。

最初にその違和感に気が付いたのは、後ろの席に座っている人が、こそこそと「なんか臭い」と話しているのを聞いたことだ。
まさか自分のことだとは思わなかったし、ただの気のせいだろうと放っておいた。
しかし、「屁の臭いがする」と呟かれたり、咳き込まれたりするうちに、それは段々確信に変わっていった。
「自分の知らない内に漏れているんじゃないか」と。
実際に漏れ出していた。自分の意思とは無関係に勝手に屁が出ていたのである。
(正直、ネットの世界にこんなことを残すのも抵抗感があるが、こういう病気があることを知ってもらえるならと思い公開することにした。)

とうとう学校に通えなくなり、どうしたら良いかわからずに発狂した私は、勇気を出して親に
「ガスが勝手に漏れ出して周りが臭いと言う」
と、相談した。
けれど、誰も信じてくれなかった。
妄想だと思われたのか、そのまま精神病院にぶちこまれた。
先生に同じことを言っても、「無理をしているとなる病気だ」と訳のわからないことを言われ、フルメジンエビリファイを処方された。
(この薬は強力な抗精神薬である。)

診断名は統合失調症だった。
ガス漏れを妄想だと思われたのである。
後に自分で調べた結果、過敏症腸症候群のガス型であったと知るまで、誤診されたまま薬漬けの廃人生活を余儀なくされたのだ。

高校中退の危機、死に物狂いで学校にいくも、ガス漏れは止まらず
「いつまで学校きてるんだよ!早く死ねよ」
と、暴言を吐かれたこともあった。
本当にその通りだと思った。自殺を試み始めたのもこの頃からだった。

悪化する病状

不思議なことに、統合失調症のような症状も現れ始める。以下はその一例である。

ある夜、誰かが扉の前にいるような気配に目が覚める。
すると、ピーポーピーポーと、救急車のサイレンの音が聞こえてくる。
「火事だ!」と、私は思って怖くて目を閉じるも、ずっとサイレンの音は鳴り止まない。
頭の中でサイレンがピーポーピーポーと追いかけてくるのである。
あ、私は殺されるのだと思い、ぱっと目を開けると、黒い影が大量に目の前にいる。
怖くて布団の中で泣きながら夜を明かした。

俗に言う幻覚や幻聴だったのかもしれない。

電車にも乗れなくなっていた。ガスが漏れる不安の他に「電車の椅子に座ると爆発して死ぬ」と思っていたのである。
妄想だったのか。

今思えばおかしいと笑えるが、当時の私には恐怖であった。
当然、こんな状態なので高校は卒業したものの大学受験は受けに行くことでもできず失敗。(センター試験は特別処置で受けられた。)この状態で男のいる環境は無理だと女子大に進学する。

闘病生活で終わった青春時代

進学してからも闘病生活。薬の副作用から寝たきり状態になっていた。
苦しくて自殺を試みるも失敗。
もう自分は死ぬ才能がないと痛感し、このままでは本当にまずい、何とかしなければと生き延びる方法を考えるようになる。
とにかく薬を辞めようと思った。この一連の体調不良は薬のせいだと。
そして、自分で勝手に減量することにした。(勝手に薬を止めたり、減量するのは本当はいけません)

薬が抜けるまで苦しかったが、この現状を打破したかったので、耐えられた。
その後、気合いで大学を卒業し、就職も決まった。
医者も精神科から心療内科に変えた。(既に精神科は変えまくっており、ジプシー状態になっていた。内科では過敏性腸症候群と診断を貰っていたが、薬はビオフェルミンしか処方されず、効かなかった。)

心療内科に変わってから、やはり私は統合失調症ではなかったと確信する。
その医者は過敏性症候群のことも理解しており、そんな状態なら、生きているのも辛かっただろうと共感してくれた。
薬は抗うつ剤レクサプロと抗不安薬デパスなどに変わった。それが効いたのかみるみる内に元気になった。

そして、現在思うこと

トラウマのようなものは未だにあるが、過敏性症候群も一連の謎の症状も今はない。
それに履歴書上ではブランクがないので、「普通」を演じることができる。
前職では明るく元気、愛嬌があるという謎の理由で出世もした。
社会人になれたのは不幸中の幸いだったかと思う。
思春期に発病することが多い精神疾患は、その後の人生をめちゃくちゃにしてしまうことも少なくない。
私は運が良かった方だ。立ち直れなかったら今頃、寝たきりのままだったかもしれない。
精神疾患は病名の判断が曖昧な部分も多く、誤診されることや薬漬けに合うこともある。
もちろん、薬や心理療法が効き、私のように社会復帰する人も多いから、全てが悪いとは思わない。
けれども、最初にかかった病院が統合失調症と誤診しなければ、そもそも病気にならなければ、また違った未来があったのかなとしんみりしてしまうのだ。

この病気が全ての医者に理解されること、対処法が確立されることを願ってならない。
この世界には過敏性腸症候群のせいで学校を中退したり、社会に出られない人もいることを忘れてはならない。

勉強5ヶ月目にして公務員試験の筆記に受かった話

今日は嬉しいことと悲しいこと両方がどっと押し寄せてきた日であった。

嬉しいことから。
4月に仕事を辞め、公務員試験の勉強を開始してから5ヶ月目にして、とある自治体の一次(筆記)に通った!!

いや、6月から始まり、地上、国家、県庁、市役所Bと続けざまに落ちてきただけにめちゃくちゃ嬉しい。
次は面接。この時期の採用試験はこっからが本当の地獄なので大変だ。

そして悲しいことは。
階段から落ちて、尾てい骨骨折した!!
今日は雨だったからね。気が付いたら2階から1階にいたんだ。たぶん尻でずるずる降っていたのかもしれんね。
個人差はあるそうで、全治3週間~3ヶ月だそう。

思いっきり面接日程と被っとるがな!!

もしこれで合格まで行けたら公務員試験を5ヶ月で突破する方法でも書こうかどうか。
しかし教養のみの試験だったのであまり参考にはならないかもしれないね。

あーおしりが痛い。

過去は克服するものではない、大事なのはこれからをどう生きるか

「あの時こうしていれば・・・」、「こうならなければ・・・」

こんな考えに囚われた経験はありませんか?

人生の分かれ道において、自分の中では最善の選択をしたつもりでも、必ずしも良い結果がついてくるとは限りません。

何時だって後悔は先に立たず、残っているのは目を逸らしたいような「現実」だけ。

私自身もかつては人生の失敗を後悔し、過去を克服したい、塗り替えたいと考えてきました。

けれども、今は違います。悩んだって過去を変えることはできない。

過去という事実があるだけだとようやく割り切れるようになったのです。

過去は塗り替えるものでも、取り戻すものでも、克服するものでもない。

大事なのは、「これからをどう生きるのか」だと。

生きるか、死ぬかの二択で考えない

「鬱だ死のう」

もうどうにもならなくなった時、人は死という選択肢を思い浮かべてしまいます。

でも、少し待ってみましょうよ。本当にすべきことはそれですか?

もっと違う道がある、今は見えないけれど、一から作っていくこともできるのです。

 

私も「どうせ死ぬからこれからどうでも良いや」と思っていた時代がありました。

今になっては「なんてもったいないことをした!」と思っています。

「どうせ死ぬから」なんて思っていても、生きるのが難しいのと同じように、死ぬのだって難しいのです。何だかんだで生きている確率の方が高いです。

死ぬか、生きるかに囚われてしまうと、大事な時間を失ってしまう。

楽に死ぬ方法なんてないんだから、楽に生きる方法を探した方がよっぽど良いですよ。

生きていれば変化が訪れることもあるのです。

失った時間は戻らないし、過去を取り戻すことだって物理的にはできません。

けれども、未来を作ることはできます。

今を考え、明日を生きる

数年前に出会った文献にこんな言葉がありました。

ドイツ連邦共和国大統領リヒャルト・フォン・ヴァインゼッカーが、

ドイツ敗戦40周年にあたる1985年5月8日に行った演説からの抜粋です。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

(「荒れ野の40年」岩波ブックレット

これは、戦争というかなり大きな話であります。個人レベルに変換できるものではないとはもちろん思います。それでも、これを最初に目にしたとき、過去を受け入れて、これからを生きることの大切さを実感する言葉にもなったのです。

過去を変えることはできなくとも、今を生き、未来は作ることができる。だから、一からになっても良いじゃないですか。「これからを生きる」ことを考えましょうよ。と、私は思ってならないのです。

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