白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

種村有菜と共にあった青春時代~「種村有菜原画展」訪問記~

少女漫画の巨匠、種村有菜先生がデビュー20周年を迎えたそう。

種村有菜といえば神風怪盗ジャンヌ満月をさがしてなどが代表作で、最近ではアプリゲーム「アイドリッシュセブン」のキャラクターデザインを担当しています。緻密で繊細な可愛らしい絵柄に、健気な主人公や魅了あふれるキャラクター、そしてちょっとエロい?作風。素晴らしい作品と共に青春を歩んだという人も多いのではないでしょうか。ちなみに私はバリバリの「ジャンヌ世代」です。(確か当時は有名アニメが重なっていて、「ジャンヌ」、「カードキャプターさくら」、「ハンター×ハンター」が裏番でやっているという激戦区でした……)

そんな種村先生の20周年を記念して、東京スカイツリーソラマチにて原画展が開催されています。期間は2016年12月17日から2017年1月4日まで。もちろん行ってきました!

f:id:endofeden:20161220222612p:plain

館内は写真撮影可(フラッシュは不可)、SNS投稿も可ということで、周りはパシャパシャシャッター音が鳴りやまない状態でした。1997年「イ・オ・ン」から2016年「悪魔にchic×hack」まで生原画がこれでもか!と展示されています。数ある展示作品の中でもやはり「ジャンヌ」は感慨深い物がある訳で、この生原画の衝撃よ……。

f:id:endofeden:20161220231526p:plain

あぁ、青春の日々。それは中学に入学したばかりの頃でした。一人一人がクラスメイト全員に自己紹介をしていくタイミングで、私が口にしたことが

「好きな漫画家は種村有菜です。」

という一言でした。今考えても思い切った自己紹介をしたというか何というか。当時は「種村有菜=ジャンヌ=エロい」という暗黙の了解みたいなものがあって、周りから「ありなっち好きなん?意外」と声をかけられたものです。純粋に漫画を楽しんでいたのにね。確かにちょくちょく少女漫画特有のラブシーンが出てきたりもしますけれど、あまり理解してはいないですよ。そりゃあ。

f:id:endofeden:20161220231426p:plain

この絵は、漫画を読んでいて「何で見えているんだろう、これは本当にパンツなのかな」と疑問に思っていたこともありました。やはりパンツでした。

f:id:endofeden:20161220230253p:plain f:id:endofeden:20161220231127p:plain

種村先生の原画は本当に線が緻密で、拡大で見たいぐらいでした。これはもはや職人の領域ではないのでしょうか。

他にも素晴らしい原画がたくさんあり、濃厚な時間を過ごすことができました。ショップでは、100点を超えるグッズがお出迎え。物欲を刺激されます。個人的にオススメなのは600円の「フレームアート」です。100均で額を購入すればお気軽に複製原画気分を味わえます。

f:id:endofeden:20161220232803p:plain

種村先生20周年おめでとうございます!

彼氏ができるかもしれない。出会いの場と化す集団面接について

タイトルの通り人生で二度目くらいのモテ期が到来している、かもしれない。
私が極度の恋愛音痴なことは、これや
imyeden.hatenablog.com
これで述べた。
imyeden.hatenablog.com
それでも、人間社会に属していると男女の仲みたいなものからは逃れられないようで……、現在、男性二人から食事に誘われるという事態に陥っている。
「なんだ食事くらいでモテ期なんて自意識過剰も言いところ」
と、言われてしまえばそうなのだろうけど、考えても見て欲しい、普段は予備校でしがない浪人生をしている私にとっては一大イベントではなかろうか。
えぇそうですとも。久しぶりの女子会ネタが増える一大事ですとも。そもそも男性と二人で食事に行くのも実に何年ぶりかというレベル。女性率90%の職場は伊達じゃない。
しかも、ほぼ同時に接点のない二人から誘いの連絡が入ったのだ。一人は前の会社の数少ない男性の後輩。もう一人は公務員の集団面接で出会った男性。どちらも同じ2歳年上。これが有名なクリスマス効果なのだろうか。恐るべし。
前者はまぁわかるとして、後者は出会いが集団面接である。集団面接の打率は本当に侮れない。実際に男女限らず毎度毎度コミュが増えるので結構狙い目である。孤独な公務員浪人が耐えられない人は、試しに集団面接を受けてみると良いかもしれない。意外と同じような境遇の人はいたりするものだ。
で、この機会をどう生かすかについて。やはりぼっち気質は抜けないので、今からどうやって断るか困っているところである。前述のように私はひどいコミュ障を抱えている。前職は接客業だった影響で良い人を演じてしまうきらいがあり、腹の底でぐつぐつと煮えたぎっている黒いものが周囲に悟られることはなくとも、いつかバレてしまうのではないかと気が気でないのだ。嫌われる前に自分から縁を切ってしまおうだとか、最初から交流をしなければ良いだとか、そうした人との繋がりを拒絶してしまう傾向にある。恐らく今回も「もうすぐ全国模試が近いから」とでも言い訳を作って逃げ出してしまうと思う。この年になってまで模試だとか勉強だとか口に出す女であることに、何時まで経っても抜け出せない地獄の輪廻みたいなものを感じてしまう。周りは婚活だ、結婚だと言っている。私は未だに偏差値の世界にいるのだ。彼氏はできないかもしれない。

30歳になったら終わりだと思っていた

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

眠れない夜に 「5年後の自分へ」

5年も経てばとうとう30歳を過ぎているね。年をとるのは簡単だっただろう。何もしなくても年齢だけは過ぎていく。子供の頃からそんな人生の虚無感を知っていたから、何となく30を過ぎたら死んでいるだろうなと思っていた。女にとっての30歳は、男にとってのそれと比べて、重みが違うと感じていたからだ。小さい頃は「老いたくない」という容姿の問題や「ずっと子供でいたい」なんていう「ピーターパンシンドローム」に似た気持ちがそうさせてた。今はそれだけではない。仕事、結婚、子育て、親の介護、背負いたくない責任みたいなものがのし掛かってくる気がして、30歳という足枷が襲ってくる感覚に恐怖を覚えている。

でも、実際なってみれば恐ろしいものでもないのだろうと思う。5年前の自分を振り返ってみても今の方が何百倍もマシな生活をしている。まだ学生だった頃は、極度の対人恐怖症であったし、就活も失敗続きで、薬が手離せず、留年までしてしまった。実に半引きこもり歴6年におよぶ大失態である。そんな私が「まとも」と呼べるようになるまで成長できたのは、前職での経験があってこそだった。地域の皆様や同僚たちに貢献できる仕事は本当にやりがいがあった。副責任者として毎日14時間ぐらい働いていたと思う。労働環境は決して良くはなかったけれども、私にとっては初めて見つけた居場所だったのかもしれない。

そんな自分の居場所も結局手放してしまったけれどね。5年経ったらまた新しい居場所を見つけられているかな。

もしも今追いかけている夢が叶っていないとしても、また5年後に「お前それなりに頑張ったじゃないか」と自分で言えるような存在になっていて欲しい。
どうせ誰もが生きていれば嫌でも年はとるのだから、他人にどう言われようと自分が納得する生き方をするよ。私はこれからも次の5年に繋がるように、ただただ前に進んでいく。5年後にどんな気持ちで、どんな状況で、30歳の「今」を生きているのか、私にはわからないけれど、そこに少しでも成長した私がいるのなら、それで充分満足だ。

今後の方向性を探る

久しぶりの更新。
ここにきて公務員試験の筆記に受かりだし、最近は面接続きでした。
やはり半年くらい勉強を続けていれば、ある程度の試験は通るようです。
最終面接の結果がでるのも少し先なので、現在は来年に向けての公務員試験対策と日商簿記の勉強をしています。簿記は国税専門官のとっかかりになるかと思って始めました。試験は今月下旬にあります。受ける人は頑張りましょう。(ちなみに簿記は独学で今月から始めました。間に合うかどうかはわかりません!)

さて、特に更新していない当ブログ。毎日20~30アクセスがあります。数字としては少ないのでしょうけれど、このような僻地でも見ていただける方々がいるようで有りがたい限りです。一時期smart newsから来ている方もいたのでリンクされていたんでしょうか。
外部から検索でたどり着く方もいらっしゃるようで、「過敏性腸症候群 地獄」や「死にたい」だの結構ガツンとくるワードが並んでいます。わかりますよ、地獄ですよ……。
確かに見られているのがその辺のものですから、仕事が決まったら過敏性腸症候群で試してきた療法だのもう少し有益な情報を流せたらと思います。いくらなんでも今の状態ですと毒を吐きすぎですからね(笑)
とりあえず現状はそんなところです。

本物の強さとはどんな逆行や失敗にも再起することができること

本物の強さとは

人は目に見えてわかる強さや権力に弱い。
強靭な肉体、誰もが振り向くような美貌といった外面的なものから、学歴、年収、職業、資格、家庭環境といったオプションで着飾る武器のようなものまで「強さ」を感じるものは様々だ。
東大(法)卒の高級官僚と言えば「エリート」と口にする人も多いだろうし、何も知らない新入社員にとって権力を振りかざす直属の上司は恐怖の対象になるだろう。実際はただの同じ人間であっても、優劣や上下関係みたいなものは、社会の中で蔓延っていて避けて通ることができない。目に見える強さは分かりやすいものだから。ただの肩書きを持て囃されているだけなのに、権力を誇示してふんぞり返る無能な連中だって当たり前のように存在してしまうのだ。私はそんなものは本物の強さではないと思う。本物の強さは、オプションで語ることはできない。
どんな逆行や失敗からも立ち上がる力、人生のどん底にいても何度でもやり直せる力。私にとって本物の強さとは、そんな活力のようなものだと思う。

どんな人間にも終わりは訪れる

ずいぶん前にテレビでやっていた番組で「¥マネーの虎」というのがあった。今をときめく経営者が「マネーの虎」と称され、挑戦者のアイデアに現金出資するかどうか決める闘いの場を楽しむものだった。当時、子供だった私は、年商○億なんて世界は想像に絶するものだった。さぞかしやり手の虎たちは、強さの固まりに見えた。しかし、今やその虎たちの会社はほとんど倒産してしまったという。会社の経営がいかに難しいかという話だが、いつか終わりや変格の時は訪れるものなのかと思った。
どんなに持っている人だって死んでしまえば終わりである。親戚に筑波大学を卒業して高校教師になった人がいるが、癌になって亡くなってしまった。まだ30歳を過ぎたばかりであった。悲しいかな、人生なんてこの先どうなるかなんてわからないのだ。
もしかしたら私も明日死ぬかもしれない。再び病気が襲うかもしれない。180度世界は変わってしまうかもしれない。
どんなに成功していてもあっという間に引きずり下ろされることはある。だからこそ逆行や失敗から立ち上がることが本物の強さだと言えるのだ。

死んでしまったら立ち上がることはできない

世間を騒がす自殺のはなし。
www.huffingtonpost.jp

東大卒電通社員、おまけに美人。母のために努力した美談あり。何故このような結果になってしまったのか。残念である。私は亡くなってしまった人をこうして話の種に出すことは本当はおそれ多いと思っている。けれども、彼女の持っている「強さ」みたいなものが、より人を引き付けて、一種のコンテンツとして消費されているのではないかと思ってしまうのだ。あれやこれやと後付けされ、評論され、死してなおメディアの中で生きている彼女。
一つ疑問に思うのは、彼女が三階建ての寮から飛び下りて死んだとされることである。自殺を図ったことがある人ならわかると思うが、一番怖いのは失敗して障害者になることである。母の勤務先の作業所では、飛び下り自殺(電車)を失敗し、足がなくなり車椅子になって働いている人がいる。私なら本気で死ぬならもっと高いところから確実に死ねるところを探す。なんとなく「ここから飛び下りたら楽になるのかな」という衝動性というか躊躇さが見え隠れしているように見えた。しかし、もう何もわからない。死んでしまったらそこで終わりだ。

時を同じくしてインターネットの片隅では自殺配信が行われていた。
pixls.jp

こちらの報道記事は見つからなかった。引きこもりの中卒2ちゃんねるユーザーの自殺。彼は持たざる者だったかもしれない。兄弟は3人とも中卒で長男も自殺。ホームページに残された己の生い立ちには「恵まれた環境ではなかった」と悲痛な訴えが残されていた。

結局今自立している人間て、親に恵まれただけなんですよね。
それで俺は親に恵まれなかったんだよ。

だからそのことに感謝してくださいよ。

(残されたホームページより)

自殺配信の理由が「自分の死んだ姿を見た母親の様子を見て欲しい」ということからも歪んだ何かを感じとれる。この自殺配信に私は衝撃を受けたのだが、やはり死んでしまえば終わりである。もうどうすることもできない。

ここからわかることは、どんな人も自ら命を絶つという現実である。有名大学出身でも、有名企業勤務でも、名家の生まれでも、別にそうでなくても、死んでしまう。過労死はどこでだって起きている。借金や病気、様々な理由から辛い現実を避けるために死を選択してしまう。私たちが知らないだけで、報道されないだけで、この世には年間三万人以上の自殺者がいる。彼・彼女は何万人といる自殺者の一人なのだと、どんなに対策をしても悲劇は繰り返されているという現実を受け止めなくてはならない。声も出せないまま終わっていった人がいることを忘れてはならない。
社会が悪いのか、果たして問題はそこなのだろうか?自己責任なのか、そんな言葉で終わらせて良いのだろうか?帰責性を探し合う世界より、個々で抱えている様々な問題や背景を寄り添って解決できるように支援先や政策を宛てがい、共有することが必要だ。国は何もしていない訳ではない。一人でも多くの人がやり直せる世界の力になりたい。
亡くなった人を引き合いに出すのは本当に忍びないが、こうした事実を現実として受け止めなくてはならない。

何度でもやり直せる世界

祇園精舎の鐘の声……。
諸行無常の響きは何時だって平等に訪れる。どんな時代の人間でも人生は上昇と下降の繰り返しである。上手くいくこともあれば、失敗することもある。運が良いときもあれば、ついていないときもある。努力が報われるときもあれば、駄目なときもある。一寸先は闇、我々ができることは、失敗だってあるもんだ、そういうもんだと、視野を狭めないことである。目に見える強さは時として武器になるだろうが、ただの紙切れになってしまうことだってある。本物の強さは逆行や失敗からも立ち上がる力である。何度でもやり直せる世界、私はそんな世界を作りたい。

公務員試験、次が最終面接

尾てい骨骨折中に受けた某自治体の集団面接とグループディスカッションが通っていました!
正直、周りのレベルが高いな~と感じて落ちたかと思っていただけに嬉しいです。
次が最終面接!ここまで来たからには最終合格したいですね。
落ちても本番は来年ですからまだまだ頑張れますよ。

さて、せっかくなのでこれから公務員試験の集団面接やグループディスカッションを受ける方向けに様子など残しておきます。何かの参考になれば幸いです。

【グループディスカッション】
集合場所に行ってみると2、30名くらいの人がいました。グループディスカッションの班分けなどが書かれている紙が配られ、軽い説明あり。その後、違う部屋に移動してディスカッション開始という流れでした。
グループディスカッションはチーム戦。全員で合格するつもりで挑みました。場所を移動する際に、少し自己紹介や軽い会話をして場馴れしとくのも良いですね。
ディスカッションは、司会を一人決めて、用意されたお題に対して自分の意見を出す基本な感じでした。
やっかいなのが、この司会。司会は難易度が高く、成功すれば配点が高く、失敗すれば司会だけ落ちることもあるそう。だから皆やりたがらず、決めるのにどうするか……な空気がまず流れましたね。
班に難関大学の院生がいたので、マジやってくれ~って一瞬思ったのですが、何故かその学生が私の方を見て
年功序列でどうでしょうか」
と、言ってきやがったのです!!
いや、確かに私が一番年上かもしれませんが、司会の押し付けというか何というか……。
決まらないのも困るので
「では、私がやらせて頂きます」
と、司会を買ってでましたよ。グループディスカッション初めてで司会でした。

流れは以下の通り。
①複数あるお題から一つ決める
②お題の意見を一人ずつ言う
③討論
④まとめの意見を一人ずつ言う
でした。とにかく時間が少ないです。
討論部分は、周りの意見に同調しながら自分の意見を付け加える戦法を取りました。後は発言が少ない人に振ったり。
以前コミュニケーション論で勉強した「おうむ返し」も使えました。たとえば

Aさん「私は○○は××だと思います。なぜなら□□だからです」
と、きたら
綾長「□□から××なんですね。私も賛成です。それは△△で~」
と、前の人が言ったことをそのまままとめる(鳥のおうむのように返す)か、または自分の言葉に言い換えてわかりやすくする感じですね。無難な感じで進めました。
司会しか役職決めなくて良かったので、何だかんだで司会やりながらタイムキーパーも書記もやりました!前職もそんな感じで同時進行で仕事してたので、経験が生かされています。しかし、全部一人でやるのはオススメはしません(笑)

【集団面接】
グループディスカッションの後は集団面接。だいたい40分くらいですかね。聞かれたのは自己紹介や志望動機、後はその自治体独自の取り組みについていろいろ聞かれました。公務員面接のテンプレ質問が全然聞かれませんでした。なので、質問の答えを丸暗記するというよりは、会話をすると思っていた方が良いですね。もちろん答えを用意したり、練習するのも必要ですが、民間の面接と同様に何聞かれるかはわからないです。駄目でも自分の言葉で頑張って答えようとしている感が評価されたんでしょうか?同じ班の人に「わかりません」と答える人もいましたけど、何でも良いから言った方が良い気がしましたね。

以上、そんな感じで二次選考に通りました。
次が最終面接です。無職脱出なるか!?仕事決まったら焼き肉食べたいです。

【うんざりする】女子会の会話は99.9%恋愛と下ネタ【事実】

女が集まって飲んだり食べたりしながらダラダラ他愛もない話しをすることを世間では「女子会」というそうだ。 20後半も過ぎて「女子」って頭おかしいんちゃうかと言いたいところだが、普通に店側も「女子会コース」を用意していたり、女性たちも「女子会じゃ~」とさも当たり前に連呼したりするもんだから、「あぁこういうのを女子会って言うんだな」と私は日常語句として認識できるようになったのである。

その女子会は、「最近どう?」という軽い挨拶みたいな言葉から始まる。本当に他愛もない世間話のようなスタート。女好みの甘い酒にサラダやピザをつまみながら、再会の一時を噛みしめる。だが、次第にそれは会社のうざい上司の愚痴や仕事の不満といった負の部分に触れていく。

「あ~雲行き怪しくなってきたな」

と、思った先に待っていることは恋愛話とエロトークである。 ほぼ100%の領域で恋愛話にぶち当たる。どんなグループでも。私はこれが不思議でならない。 しかも、「あの子が好きなのどうしよう」なんて可愛いもんじゃなく、誰と誰が不倫しているとか、彼との夜が不満とか、好きな体位とか、歴戦の経験談とかもうぶっちゃけ下品なこと満載なのだ。 澄ました顔してるくせに普段そんなこと考えてるの?というレベル。ただ喋ってるのを聞いているだけならまだ良いが、奴らは「で、綾長はどうなの?」とこちらに意見を求めてくる。

そんなネタねーよ、と。

20後半で男性と付き合ったことも会話したこともほぼないような魔女がいるっていうことを彼女たちは知らない。もっというと、恋愛も何も興味がない女がいるということを彼女たちは理解できない。人気と言われる女性向けブログですら、ほぼ確実に恋愛や男の話が絡んでくる世の中。

 最近ようやく気付いた。女って恋愛に興味があるんだ……と。

仕方がないから、でっち上げの恋愛話をその場しのぎで話したりもするが、もうこれ以上はどうにもならない。 恋愛、男、結婚、出産に全く価値を感じないのだ。 原因は何だろう。一人でも何でも出来てしまうし、金にも困っていない、そもそも恋愛の果てにあるものに何の感情も抱けない。

私の両親は、公務員同士の余り者が、互いの体裁のためにお見合い高齢結婚したもんだから、仲も良くなかったし、近々熟年別居する予定だ。このように望まれた結婚だけが全てではない。 もし仮に自分が結婚までたどり着いて、子供が生まれたとしても、遺伝で精神疾患になる可能性もある。間違いなく苦労するだろう。そんなリスクを犯してまで結婚や出産をする必要性があるのだろうか。(あくまで自分の人生観。一般的な価値観とは異なる。)そんな人間はひっそりと一人で暮らした方が良いですよ、と誰しも思うだろう。

そう考えてくると、女子会で飛び交う恋愛や下ネタもやはり興味が持てない。興味が持てないなりにも知識で対抗している訳だが、いつか限界がくるか、あえて触れられなくなるか。年齢を重ねれば重ねれほど、杜撰な扱われ方をしていくのかなと思ってしまう。恋愛するのも結婚するのも人として普通のことだと思われているから 所謂異端のような扱いを受けるのかな。親も例によって共済組合にある公務員とその家族向けの結婚相談所に入会したらどうかと進めてくる。 「女は結婚すれば仕事しなくても良いんだから」と古くさい考え方は意外と近くに根付いているものだ。もう駄目になったら別居しつつ偽装結婚してくれる相手でも見つければ良いか。 偽装結婚すれば、女子会のくだらない恋愛や下ネタに「普通の人間」として参加することができるようになるのか。 私にはわからない。

ただこれだけは真実。

女子会の会話は99.9%恋愛と下ネタ。