白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

「格差社会」はないと説く教師に告ぐ

先日どうしても納得がいかないことがあった。

「努力して大企業に入ったエリートとやる気もなく中小零細に入った低所得者がいるとする。この二者は格差だと思うか?」

知り合いの教師が投げ掛けた言葉だ。

「これは格差ではない。」

その教師によると、頑張った人が報われて当然だからいくら貰ったって良いだろうし、
低所得者は自ら努力せずにその道を選んだのだから格差にはならないというのだ。
(もちろんその低所得者が生まれつきの病気や育った環境などの理由があれば別だとは言っていたが。)

私は思った。
果たして本当にそうなのだろうか、と。

努力が報われるという言葉ですら強者の理論だと思ってしまうのだ。

こんな言い訳がある。

子供の人生は生まれた時から決まっている。

東大の子は高学歴になりやすい。
公務員の子は公務員を目指すようになる。
「カエルの子はカエル」というのが少なからずあるだろう。

金持ちの子供は高い教育を受けられる。
親の七光りがあるのだからエリートになれる。
医者のドラ息子が清掃員から政治家になったのも記憶に新しいが、これは当然の結果である。

努力も才能。とは、完全には言わない。
が、努力する才能も遺伝によってある程度受け継がれる。
脳の知能に関係がある前頭葉の密度は8割が遺伝によって決まるらしい。

性格だってそうだ。
ストレスを感じやすい体質みたいなものは遺伝する。
実際、身内に何人か自殺者がいると自身もうつ病になりやすい。

あぁ、なんだ。
人は生まれながらにして不平等で、最初から未来なんて決まっていたのか。

昔の私はそのような決定論者だったかに思う。

親が貧乏なら子も貧乏。
貧困の連鎖。いまや子供の6人に1人が貧困家庭であるという。

そういう家庭で育った子供たちはどんな大人になるのだろう。
お金がなくて学校にもいけない子も出てくるだろう。
学歴によって最終的な就職先だって差は出てくるのではないか。

たとえ高所得家庭の子供であってもいじめや引きこもり等で挫折してしまったら、挑戦することにひどく恐れをなすだろう。

そして、もうこれでいいやと投げやりになってしまうかもしれない。
そのままニートやフリーターになり、抜け出せなくなる可能性だってある。

「何やったってどうせ失敗するから意味ない。」

自己肯定感が低ければ挑戦することすらできなくなってしまう。

だとしたらどうだろう。
先の教師の言葉は果たして真理なのか。

「努力して大企業に入ったエリートとやる気もなく中小零細に入った低所得者がいるとする。この二者は格差だと思うか?」

「これは格差ではない。」

いや、その個人や社会的背景がわからなければそうとは言えない。
そもそも当事者が格差と思えば、それは格差なのだ!

後日それとなくその教師に喧嘩をふっかけに行こうとしたが、小心者なので未だ反論の機会はない…。

かといって、私自身すべてが遺伝で決まるとは思っていない。
人間の成長は遺伝と環境5対5だという。
「成り上がり」や「下剋上」なんて言葉があるのだから、成功するかどうかは本人の行動次第だろう。

ただ、やはり子供たちが成果を出せるように導く大人は必要だ。
大人になっても人との出会いが結果として良い方向に進むこともある。

だからこそ言いたい。
教育者であるあなたが、その背景も問わずに勝手なことを言うなと。
その格差をなくすために子供たちに自己肯定感を育み先導するのが仕事じゃあないのか、と。

それがわからないのなら、所詮、あなたも「社会的強者」の一人に過ぎないのですよ。