白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

過去は克服するものではない、大事なのはこれからをどう生きるか

「あの時こうしていれば・・・」、「こうならなければ・・・」

こんな考えに囚われた経験はありませんか?

人生の分かれ道において、自分の中では最善の選択をしたつもりでも、必ずしも良い結果がついてくるとは限りません。

何時だって後悔は先に立たず、残っているのは目を逸らしたいような「現実」だけ。

私自身もかつては人生の失敗を後悔し、過去を克服したい、塗り替えたいと考えてきました。

けれども、今は違います。悩んだって過去を変えることはできない。

過去という事実があるだけだとようやく割り切れるようになったのです。

過去は塗り替えるものでも、取り戻すものでも、克服するものでもない。

大事なのは、「これからをどう生きるのか」だと。

生きるか、死ぬかの二択で考えない

「鬱だ死のう」

もうどうにもならなくなった時、人は死という選択肢を思い浮かべてしまいます。

でも、少し待ってみましょうよ。本当にすべきことはそれですか?

もっと違う道がある、今は見えないけれど、一から作っていくこともできるのです。

 

私も「どうせ死ぬからこれからどうでも良いや」と思っていた時代がありました。

今になっては「なんてもったいないことをした!」と思っています。

「どうせ死ぬから」なんて思っていても、生きるのが難しいのと同じように、死ぬのだって難しいのです。何だかんだで生きている確率の方が高いです。

死ぬか、生きるかに囚われてしまうと、大事な時間を失ってしまう。

楽に死ぬ方法なんてないんだから、楽に生きる方法を探した方がよっぽど良いですよ。

生きていれば変化が訪れることもあるのです。

失った時間は戻らないし、過去を取り戻すことだって物理的にはできません。

けれども、未来を作ることはできます。

今を考え、明日を生きる

数年前に出会った文献にこんな言葉がありました。

ドイツ連邦共和国大統領リヒャルト・フォン・ヴァインゼッカーが、

ドイツ敗戦40周年にあたる1985年5月8日に行った演説からの抜粋です。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

(「荒れ野の40年」岩波ブックレット

これは、戦争というかなり大きな話であります。個人レベルに変換できるものではないとはもちろん思います。それでも、これを最初に目にしたとき、過去を受け入れて、これからを生きることの大切さを実感する言葉にもなったのです。

過去を変えることはできなくとも、今を生き、未来は作ることができる。だから、一からになっても良いじゃないですか。「これからを生きる」ことを考えましょうよ。と、私は思ってならないのです。

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