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白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

統合失調症と誤診された時に起きた謎の症状とその予後について

病気と共に生きる

私はかつて「重度」の精神障害者であった。
高校2年生の時に起きた違和感の正体とその誤診による闘病生活について思ったことを記録に残したい。
(生々しいので閲覧注意。)

目次

あの頃の私は真面目なだけが取り柄の健常者だった。

高校2年生の時の話だ。
当時の私は、中高一貫の私立女子校の特進クラスで国立大学を目指していた。
成績は悪くなかった。偏差値は文系三教科なら70あった。
事実上最後になった模試の結果は、第一志望の地方国立T大学はC判定、難関私立W大学はA判定、M大学はA判定(ここは滑り止めという話であった)
両親は私学難関のWとK大学出身だったので、そのくらいの学歴は欲しかった。
あの頃の私はまだ健常者で、勉強しかすがれるものがなかったというのもあって、ひたすらに参考書とにらめっこをしていたかに思う。
他人は裏切ることもあるが、勉強は自分を裏切らないと本気で信じていた。

発病と違和感の正体

「臭い」
この言葉に今でも反応することがある。

最初にその違和感に気が付いたのは、後ろの席に座っている人が、こそこそと「なんか臭い」と話しているのを聞いたことだ。
まさか自分のことだとは思わなかったし、ただの気のせいだろうと放っておいた。
しかし、「屁の臭いがする」と呟かれたり、咳き込まれたりするうちに、それは段々確信に変わっていった。
「自分の知らない内に漏れているんじゃないか」と。
実際に漏れ出していた。自分の意思とは無関係に勝手に屁が出ていたのである。
(正直、ネットの世界にこんなことを残すのも抵抗感があるが、こういう病気があることを知ってもらえるならと思い公開することにした。)

とうとう学校に通えなくなり、どうしたら良いかわからずに発狂した私は、勇気を出して親に
「ガスが勝手に漏れ出して周りが臭いと言う」
と、相談した。
けれど、誰も信じてくれなかった。
妄想だと思われたのか、そのまま精神病院にぶちこまれた。
先生に同じことを言っても、「無理をしているとなる病気だ」と訳のわからないことを言われ、フルメジンエビリファイを処方された。
(この薬は強力な抗精神薬である。)

診断名は統合失調症だった。
ガス漏れを妄想だと思われたのである。
後に自分で調べた結果、過敏症腸症候群のガス型であったと知るまで、誤診されたまま薬漬けの廃人生活を余儀なくされたのだ。

高校中退の危機、死に物狂いで学校にいくも、ガス漏れは止まらず
「いつまで学校きてるんだよ!早く死ねよ」
と、暴言を吐かれたこともあった。
本当にその通りだと思った。自殺を試み始めたのもこの頃からだった。

悪化する病状

不思議なことに、統合失調症のような症状も現れ始める。以下はその一例である。

ある夜、誰かが扉の前にいるような気配に目が覚める。
すると、ピーポーピーポーと、救急車のサイレンの音が聞こえてくる。
「火事だ!」と、私は思って怖くて目を閉じるも、ずっとサイレンの音は鳴り止まない。
頭の中でサイレンがピーポーピーポーと追いかけてくるのである。
あ、私は殺されるのだと思い、ぱっと目を開けると、黒い影が大量に目の前にいる。
怖くて布団の中で泣きながら夜を明かした。

俗に言う幻覚や幻聴だったのかもしれない。

電車にも乗れなくなっていた。ガスが漏れる不安の他に「電車の椅子に座ると爆発して死ぬ」と思っていたのである。
妄想だったのか。

今思えばおかしいと笑えるが、当時の私には恐怖であった。
当然、こんな状態なので高校は卒業したものの大学受験は受けに行くことでもできず失敗。(センター試験は特別処置で受けられた。)この状態で男のいる環境は無理だと女子大に進学する。

闘病生活で終わった青春時代

進学してからも闘病生活。薬の副作用から寝たきり状態になっていた。
苦しくて自殺を試みるも失敗。
もう自分は死ぬ才能がないと痛感し、このままでは本当にまずい、何とかしなければと生き延びる方法を考えるようになる。
とにかく薬を辞めようと思った。この一連の体調不良は薬のせいだと。
そして、自分で勝手に減量することにした。(勝手に薬を止めたり、減量するのは本当はいけません)

薬が抜けるまで苦しかったが、この現状を打破したかったので、耐えられた。
その後、気合いで大学を卒業し、就職も決まった。
医者も精神科から心療内科に変えた。(既に精神科は変えまくっており、ジプシー状態になっていた。内科では過敏性腸症候群と診断を貰っていたが、薬はビオフェルミンしか処方されず、効かなかった。)

心療内科に変わってから、やはり私は統合失調症ではなかったと確信する。
その医者は過敏性症候群のことも理解しており、そんな状態なら、生きているのも辛かっただろうと共感してくれた。
薬は抗うつ剤レクサプロと抗不安薬デパスなどに変わった。それが効いたのかみるみる内に元気になった。

そして、現在思うこと

トラウマのようなものは未だにあるが、過敏性症候群も一連の謎の症状も今はない。
それに履歴書上ではブランクがないので、「普通」を演じることができる。
前職では明るく元気、愛嬌があるという謎の理由で出世もした。
社会人になれたのは不幸中の幸いだったかと思う。
思春期に発病することが多い精神疾患は、その後の人生をめちゃくちゃにしてしまうことも少なくない。
私は運が良かった方だ。立ち直れなかったら今頃、寝たきりのままだったかもしれない。
精神疾患は病名の判断が曖昧な部分も多く、誤診されることや薬漬けに合うこともある。
もちろん、薬や心理療法が効き、私のように社会復帰する人も多いから、全てが悪いとは思わない。
けれども、最初にかかった病院が統合失調症と誤診しなければ、そもそも病気にならなければ、また違った未来があったのかなとしんみりしてしまうのだ。

この病気が全ての医者に理解されること、対処法が確立されることを願ってならない。
この世界には過敏性腸症候群のせいで学校を中退したり、社会に出られない人もいることを忘れてはならない。