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白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

本物の強さとはどんな逆行や失敗にも再起することができること

本物の強さとは

人は目に見えてわかる強さや権力に弱い。
強靭な肉体、誰もが振り向くような美貌といった外面的なものから、学歴、年収、職業、資格、家庭環境といったオプションで着飾る武器のようなものまで「強さ」を感じるものは様々だ。
東大(法)卒の高級官僚と言えば「エリート」と口にする人も多いだろうし、何も知らない新入社員にとって権力を振りかざす直属の上司は恐怖の対象になるだろう。実際はただの同じ人間であっても、優劣や上下関係みたいなものは、社会の中で蔓延っていて避けて通ることができない。目に見える強さは分かりやすいものだから。ただの肩書きを持て囃されているだけなのに、権力を誇示してふんぞり返る無能な連中だって当たり前のように存在してしまうのだ。私はそんなものは本物の強さではないと思う。本物の強さは、オプションで語ることはできない。
どんな逆行や失敗からも立ち上がる力、人生のどん底にいても何度でもやり直せる力。私にとって本物の強さとは、そんな活力のようなものだと思う。

どんな人間にも終わりは訪れる

ずいぶん前にテレビでやっていた番組で「¥マネーの虎」というのがあった。今をときめく経営者が「マネーの虎」と称され、挑戦者のアイデアに現金出資するかどうか決める闘いの場を楽しむものだった。当時、子供だった私は、年商○億なんて世界は想像に絶するものだった。さぞかしやり手の虎たちは、強さの固まりに見えた。しかし、今やその虎たちの会社はほとんど倒産してしまったという。会社の経営がいかに難しいかという話だが、いつか終わりや変格の時は訪れるものなのかと思った。
どんなに持っている人だって死んでしまえば終わりである。親戚に筑波大学を卒業して高校教師になった人がいるが、癌になって亡くなってしまった。まだ30歳を過ぎたばかりであった。悲しいかな、人生なんてこの先どうなるかなんてわからないのだ。
もしかしたら私も明日死ぬかもしれない。再び病気が襲うかもしれない。180度世界は変わってしまうかもしれない。
どんなに成功していてもあっという間に引きずり下ろされることはある。だからこそ逆行や失敗から立ち上がることが本物の強さだと言えるのだ。

死んでしまったら立ち上がることはできない

世間を騒がす自殺のはなし。
www.huffingtonpost.jp

東大卒電通社員、おまけに美人。母のために努力した美談あり。何故このような結果になってしまったのか。残念である。私は亡くなってしまった人をこうして話の種に出すことは本当はおそれ多いと思っている。けれども、彼女の持っている「強さ」みたいなものが、より人を引き付けて、一種のコンテンツとして消費されているのではないかと思ってしまうのだ。あれやこれやと後付けされ、評論され、死してなおメディアの中で生きている彼女。
一つ疑問に思うのは、彼女が三階建ての寮から飛び下りて死んだとされることである。自殺を図ったことがある人ならわかると思うが、一番怖いのは失敗して障害者になることである。母の勤務先の作業所では、飛び下り自殺(電車)を失敗し、足がなくなり車椅子になって働いている人がいる。私なら本気で死ぬならもっと高いところから確実に死ねるところを探す。なんとなく「ここから飛び下りたら楽になるのかな」という衝動性というか躊躇さが見え隠れしているように見えた。しかし、もう何もわからない。死んでしまったらそこで終わりだ。

時を同じくしてインターネットの片隅では自殺配信が行われていた。
pixls.jp

こちらの報道記事は見つからなかった。引きこもりの中卒2ちゃんねるユーザーの自殺。彼は持たざる者だったかもしれない。兄弟は3人とも中卒で長男も自殺。ホームページに残された己の生い立ちには「恵まれた環境ではなかった」と悲痛な訴えが残されていた。

結局今自立している人間て、親に恵まれただけなんですよね。
それで俺は親に恵まれなかったんだよ。

だからそのことに感謝してくださいよ。

(残されたホームページより)

自殺配信の理由が「自分の死んだ姿を見た母親の様子を見て欲しい」ということからも歪んだ何かを感じとれる。この自殺配信に私は衝撃を受けたのだが、やはり死んでしまえば終わりである。もうどうすることもできない。

ここからわかることは、どんな人も自ら命を絶つという現実である。有名大学出身でも、有名企業勤務でも、名家の生まれでも、別にそうでなくても、死んでしまう。過労死はどこでだって起きている。借金や病気、様々な理由から辛い現実を避けるために死を選択してしまう。私たちが知らないだけで、報道されないだけで、この世には年間三万人以上の自殺者がいる。彼・彼女は何万人といる自殺者の一人なのだと、どんなに対策をしても悲劇は繰り返されているという現実を受け止めなくてはならない。声も出せないまま終わっていった人がいることを忘れてはならない。
社会が悪いのか、果たして問題はそこなのだろうか?自己責任なのか、そんな言葉で終わらせて良いのだろうか?帰責性を探し合う世界より、個々で抱えている様々な問題や背景を寄り添って解決できるように支援先や政策を宛てがい、共有することが必要だ。国は何もしていない訳ではない。一人でも多くの人がやり直せる世界の力になりたい。
亡くなった人を引き合いに出すのは本当に忍びないが、こうした事実を現実として受け止めなくてはならない。

何度でもやり直せる世界

祇園精舎の鐘の声……。
諸行無常の響きは何時だって平等に訪れる。どんな時代の人間でも人生は上昇と下降の繰り返しである。上手くいくこともあれば、失敗することもある。運が良いときもあれば、ついていないときもある。努力が報われるときもあれば、駄目なときもある。一寸先は闇、我々ができることは、失敗だってあるもんだ、そういうもんだと、視野を狭めないことである。目に見える強さは時として武器になるだろうが、ただの紙切れになってしまうことだってある。本物の強さは逆行や失敗からも立ち上がる力である。何度でもやり直せる世界、私はそんな世界を作りたい。