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白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

好きなことを仕事にするということ

去年の今頃は、年度末に行われる業務評価の準備のため、忙しい毎日を送っていた。あれから1年、現場からも社会からも離れてしまって、なんとなく寂しい気持ちが溢れてくる。風の噂で私が辞めてから、少なくとも5人以上は離職者が出ているようだ。館長はついに入院してしまったらしい。みんな消耗しているなぁ。

ふと気になって施設の広報誌をネットで検索してみた。私が編集担当をしていた時と違って内容もレイアウトもガラッと変わっていた。中でも吃驚したのは、職員の顔写真つきの記事。「顔出しまで始めたの!?」と思った矢先、その隣には職員の名前と「司書」という肩書き。「司書」、司書かぁ~、素晴らしい響きだな~。きっと皆この瞬間のために生きているんだろうな~。
でも、「あなた年収200万ちょっとでしょ、休みもなければ、ボーナスもない。いつまで図書館もどぎを続けるつもりなの?」
と、心の中で黒いものが出てきて、たいして読まずにブラウザをそっと閉じることになった。

私が勤めていたのは民間委託の公共施設。いわゆる武雄市TSUTAYA図書館問題などで話題になった「指定管理者」だ。東京都内、特に「特別区」と言われる区役所関連施設のほとんどが競売に出されている。区内の図書館、公民館、児童館、美術館、博物館、そういった箱物で働く人々は、程度の差はあれど、年収200万代のワーキングプアに陥っている。俗にいう非正規公務員たちである。その労働環境は過酷だ。公務員ができないことを民間人にやってもらうという名目上、「安く」、「効率的に」、「最大限の成果」を求められる。はっきり言って待遇は飲食店やコンビニのバイトと変わらないんじゃないかと思ってしまう。しかし、公共の文化施設というだけあって、すべてを捨ててまで働きたいんだ!という人が後をたたない。良い大学、輝かしい経歴を持った人々でもやってきてしまうのだ。だから、委託側もとんでもない低待遇の求人を平気で出す。中には修士号や語学力といった専門スキルまで要求するものまである。そんな足元をみた求人にもやりたいやりたいと労働者は殺到し、泣いて喜んでサービス残業をするのだ。すべては司書という肩書きと図書館勤務という知的生産界への憧れのため、なのかと思っちゃうね、私は。結局、ブランドバックに群がる頭空っぽの渋谷のギャルと同じなのではないか。先に付け加えて置くが、世のため人のために働く人たちも勿論いる。というか、そういうボランティア精神に溢れた人たちによって成り立っている業界だもの。好きなことを仕事にするということは、何かを犠牲にするということでもあるのかなと。好きでやっているならそれで良いのだろう。私は馬鹿馬鹿しくなってもう撤退したけれど、今となっては良い職場だったとも思う。

去年の今頃、バタバタして休みなく取り組んだ業務評価の準備。結果はどうなったかなと検索してみたら、区内、社内共に1位になっていた。悲願の達成を無職のまま自宅で知ることになるとは、なんとも言えない。それでも、私が4年間頑張ってきたことは無駄じゃなかったと思いたい。

「みんなおめでとう。よく頑張りました。この声は届くことはないでしょうが、私は今も元気です。」