白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

フェイスブックを見ているとしにたくなる

フェイスブックを見ていると悲しくて涙が出る。
誰かが何で成功したとか、どの有名大学に出たとか、名字が変わっただとか、どの写真も楽しそうに見えるだとか。自分と比べた時にあぁ全く違うなと思ってしまうからだ。
経歴も何もたいしたことがない、幸せでもない、全てがバラバラで継ぎ接ぎだらけの自分が本当に惨めに見えてくる。

それが嫌だから見ないようにしていたはずなのに。
仕事のために登録したアカウントも、一切情報を流さず放置をしていたはずなのに。
いらない好奇心が無駄な情報を拾ってきて、勝手に自分から傷ついている。本当にくだらない時間を過ごしているなと思う。


そもそもの始まりは、ほんの数日前のことで、中高時代の友人から聞いた昔の知り合いの話からだった。

「Aさんが◯◯(とある臓器)を全摘出したらしい」

正直、私はAさんのことを覚えていなかったけれど、それは大変だなと気の毒に思った。まだ20代だろうに。全摘出するということは恐らくガンだったのだろう。
でも、どこかで、心の底のどこかで、すっと心が楽になる「ざまぁ見ろ」と思っている自分もいたのである。

私はよく人から「良い人」と評価されることも多い。一方で私自身は最高に性格が悪いと思っている。私は演技が得意な人間なのだろう。いくらでも他人にとって「良い人」を演じることができるのだ。だからその分たちが悪い。可哀想だと口にして残念そうにする心の中で、良からぬ感情を抱きながら相手を見下しているのである。

そして、いらない好奇心がフェイスブックを開く。彼女の名前と出身校で検索をかける。
あった、すぐに見つかった。

心の底でざまぁ見ろと思っていた彼女は、やはり立身出世をしていたのだ。

有名大学からアナウンサーになったんだね。テレビで見かけるような有名人ではないけれど、あなたはやりたいことができている。夢を、夢を叶えたんだ…………。

私は悔しくて悲しくて絶望したと思う。それは彼女が立身出世していたからではなく、自分の惨めさと汚さに幻滅したからに等しい。

私の出身校で辿ると、そのどれもが、キラキラしているように見える。それはそうだ。都内私立の中高一貫女子校に通えるのは、みんな一定以上の家庭水準であるから、やりたいと言えば親や親戚がお金を出してくれる。この界隈にいる人たちは、生死を問うような真っ暗闇を知っているのだろうか。将来を立たれる絶望を知っているのだろうか。

当時の私は学年で2番の成績で自分の将来に過度な期待を持っていたと思う。だからこそ失ってしまった過去から未だに抜けられることができていないと感じる。
なんとなくわかっていた。公務員に受かっても有名大学の通信教育過程を始めても、資格をとっても、彼氏を作ってみても、そんな周りがやるような成功を追いかけてみても、何も満たされない自分がいる。
そして今はもう、全部捨てて、誰も知らない土地へ、誰にも何にも捕らわれない世界へ、消えてしまいたいと、強く強く思う。

もっともっと努力して更に上に行きたい自分と、もう何もやりたくない、引きこもっていたい自分と。
人が良くて周りから好かれる自分と、本当は性格の悪いピエロな自分と。両極端の中で、あぁもう苦しいと、それでも前に進まざるを得ない辛さ。
どうやったら乗り越えられるのだろう。