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日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

死刑執行ニュースと人生のレールと私のこれから

死刑執行のニュースが目に入った。
受刑者は当時19歳の元少年、刑執行時は44歳。事件は「市川一家4人殺害事件」である。少年犯罪であること、4人殺害という残虐性から、一体どんな事件であったのか知りたくなった。内容については以下が詳しい。

http://yabusaka.moo.jp/ichikawa.htm
市川・一家4人殺害事件

事件の残虐性や事件内容といった倫理面に関わることは特に触れるつもりはない。
しかし、少年犯罪、若者の犯罪には、だいたい育った家庭環境に影響があることが多いように見える。この事件を例に取っても、元少年は父親の暴力や家族からの愛の欠如など(機能不全家族)の影響があったと受けとれる。父親の暴力を見て育ち、自身もまた暴力によって物事を解決してきた場合、力による支配について絶対的な信頼をおいてしまうだろう。

同じような例を挙げると、私の場合は「学びの力」で物事を解決してきた、成功してきた傾向があり、無意識的に行動はそういった物を選び取ることが多い。たとえば、学習塾でアルバイトをしていたこと、新卒で就職したのは社会教育施設、仕事を辞めてフリーランス…………ではなく、公務員試験である。公務員になってからは、通信制大学に通い、資格修得に励む、という見るからに堅苦しい選択の連続。実物は柔らかくてアホな感じだと思われるが、行動の選択は「学び」に関連している。これは、私自身が幼少期~思春期に勉強で成功してきたこと、学ぶことで課題を解決してきたことが影響している。

そのように、人生の選択は、知らず知らずの内に今までの経験(特に幼い頃の経験)から選び取る傾向がある。マララさんが「ペンは剣より強し」と発言できるのは、教育の成果であり、剣や銃を取ることしか知らなければ暴力に訴えることが正義と思い込んでしまうだろう。

もし幼少期に親や身近な人から愛されなかったら、一番身近な人が暴力を振るっていたら、それを見て育った子供も真似をする、あるいは何かしらのトラウマを引きずることになる。
たとえば、精神障害の一つに解離性障害(多重人格)がある。この原因は幼少期の親からの虐待や性的な暴力、抑圧経験が関係していることが多いという。また、境界性パーソナリティー障害(ボーダーライン)の原因の一つが幼少期の親子の関係性が影響しているという。幼少期~思春期は、人格的な形成を行う大切な時期である。こういった時期にもし「普通」の家庭でなかったら、あるいは「普通」の暮らしができなかったら、何かしらを抱えていく原因になる。更に良い意味でも、悪い意味でも、今度の人生の選択に影響してくると考えられる。

昔(10年くらい前)読んだ心理学の本に、「人生は遺伝50%、環境50%で決まる」といった文言があった。上記のように人間は環境に影響を受ける、と私は思っているが、それだけではなく、持って生まれたものにも人は影響を受けることを忘れてはならない。その人の気質、容姿、得意なこと、苦手なこと、なりやすい病気等々、遺伝子には抗えない部分も大きい。「カエルの子はカエル」というのもあながち間違っていないのかもしれない。

話を戻そう。そういう全てを考慮して、犯罪者は最初から犯罪者というよりは、様々な経験や環境が人を犯罪者に変えていくといった方が正しいのではないのだろうか、と思ってしまう。確かに千葉県市川市の残虐な事件は、本当に嘆かわしいものである。しかし、それに見え隠れした何かがあるのではないか。

数年前に少年犯罪のルポ、鈴木大介氏著「家のない少年たち」等も読んだ。その時もそう思った。昨年、「若草プロジェクト」のシンポジウム「生きづらさを語る」に参加した時も、若い女性が犯罪に巻き込まれる(被害者、加害者共になる)ケースが非常に多いこと、そして少女たちの家庭環境の複雑さを知った。この法人の活動は行政と連携しており、23区内で事業として行っている区もある。

私も大なり小なり、そういう過去の生きづらさが人生の選択に影響していると思う。私ができることは、その苦しみたちを徹底的に調べあげ学ぶことである。私は目をそらさない。そして、それを生かし複数のセクターと連携し、行政として次に続く若者たちを導くことである。この少子高齢化の時代にあえて私は「若者支援」と声を出して言いたい。

死刑執行のニュースを見て、再度その気持ちが嵐のように、燃え上がるように、心の奥底から怒号のように、鳴り響いて止まないのである。


※追記
事件の詳細を見ていると本当に人生はいろいろであると感じる。
http://yabusaka.moo.jp/setagaya-gashi.htm
世田谷・2歳児餓死事件
どんなに優秀な方でも、対処がわからず一人で思い詰めてしまえば孤立してしまう。なぜ犯罪者になってしまうのか、自殺しなくてはならなかったのか。

「品行正しく、文武両道、良い成績をとり、良い大学に入って、良い就職をして、良い結婚をして、子供を産んで、円満な家庭を作り、仕事を頑張り、子供を立派に育て、老後は生き甲斐作りに勤しみ、健康寿命を伸ばし、社会参加を怠らず、孤独死なく家族に看取られ綺麗に終わる」
この世界には「普通」であることの呪いがたくさんある。こんなのは全くの嘘である。実際は綺麗事ではない、そして価値観も環境も置かれる立場も歩む人生もそれぞれ違う。だからこそ、この呪いを溶く必要がある。頭の硬い行政でも、こういうロールモデルが推奨され、我々の一部でもそういう風にすることが一番良いと思い込んでいる。
しかし、そうではない。全てはケースバイケースだ。ロールモデルが良いと思って実行する人もいれば、道を外れる人もいて、あえなく違う道を行く人もいる。私はどれも批判はできない。その需要を受け止め続けるのがこれからの私の「仕事」である。