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どうせ死んでしまうのに、なぜいま死なないのか【私と中島義道先生の思い出について】

どうせ死んでしまうのに…………。

そういう虚無感は誰しもあると思う。

かく言う私も高校中退の危機から病院に強制収用→幽霊学生時代には、「どうせ死ぬからどうでも良い」という虚無感に囚われていた。人生で一番楽しいと言われる10代後半~20代前半を無駄にしてしまったのは今でも悔やまれる。

そんな当時、大学の図書館に「学生オススメ本」の特集コーナーがあって、たまたま手に取ったのが中島義道先生の「孤独について~生きるのが困難な人たちへ~」という本だった。

内容は戦う哲学者の中島先生の半生と、孤独に生きることを肯定するエッセイのようなもの。時に笑い、時に共感があって、私はむさぼるようにその本を読んだ。

何より学生の紹介コーナーにこの本があって、私の他にも生きるのが困難な人がいるのか、というのが嬉しかった。

それから中島先生の著作を何冊か読んだ。

「人生に生きる価値はない」、「カイン~自分の弱さに悩む君へ~」、「人間嫌いのルール」、「私の嫌いな10の言葉」、「生きるのも死ぬのも嫌なキミへ」等々、良い意味で逸脱した内容の本たち。

こういう考え方の人がいて、それに賛同している人たちもいる、そんな単純なことに心がすっと軽くなっていくような気がした。


社会人になってからも中島先生の本は愛読していた。

社内の研修で本の紹介を競い合う「ビブリオバトル(知的書評合戦)」を行った時、私は中島先生の「孤独について」を持参した。
3分間プレゼンを行い、一番読みたい本に投票するというルールで、私は中島先生と孤独についての魅力を語り尽くした。
もしかしたら引かれるかもしれない……という恥ずかしさもあったが、何故だかそれは受け入れられて、「孤独について」はチャンプ本に選ばれてしまったのだ。

意外と皆、生き辛さがあったのかもしれない。

後日、社内メールで「綾長さんの紹介した『孤独について~生きるのが困難な人たちへ~』が1位です」と全館送信されてしまったことは良い思い出である。


実は中島義道先生は「哲学塾カント」という勉強会を開いている。基本有料だが、無職やニートは半額にしてくれる制度があった。
私が仕事を辞めたとき、今がチャンスと思って、初めて哲学塾カントの門戸を叩いたが、残念ながらその頃には無職割引はなくなっていた。仕方なく定額で哲学塾に参加することにした。ちょうど2年前の話である。

初めて見た中島先生は背も小さく、割りと普通のおじいさんだった。哲学塾も真面目な集まりという感じで、皆あまり生きづらそうではなく、和気あいあいな感じがちょっと居心地が悪かった。

そこでたまたま私に声をかけてくれた同年代の男性がいて、聞けば彼は準公務員だという。私は「孤独について」が一番好きです、と話して、彼は「働くことがイヤな人のための本」が一番です、と答えた。

ああ、そうですね、わかります。

何故だが一瞬で悩みを共有したような感覚に陥った。本当は皆イヤなんだ。働くことがイヤなんだ。



ちなみに私はそれっきり哲学塾カントには行っていない。ただ、やはり中島先生の著作は今でも好きでたまに読む。

「どうせ死んでしまう」

そういう虚無感は10年以上経っても変わらない。

「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? 」

中島先生の著作にこのようなタイトルの本があるが、基本的にこの問いの答えは載っていない。

私は、どうせ死んでしまうけれど、今それで死んだら美味しいご飯も食べられないし、大学院にも行く未来もなくなるし、国会図書館で漫画読みまくれないし、カードキャプターさくらの新作も始まったし、苦しいこともイヤなことも多いけど、楽しいことも実はあるし、どうせ死ぬのに、何も果たせないまま、悔しいままで死んだら、きっと塵になった時に後悔する。

何故なら、かつて「どうせ死ぬからどうでも良い」と思っていたことを今後悔しているから。

そんな風に思う。

いま死んではいけない、ではなく、どうせ死んでしまうからやりたいことはしよう、という思いにたどり着いた。

やりたいことが、ずっと眠ることでも、ゲームすることでも良いのかもしれない。


「どうせ死んでしまう」と希望を失ってしまい、何もできなくなることが、本当は一番怖いことなのではないか、私はそう思ってならないのである。