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文化・教育を切り捨てる日本社会

博物館、図書館、公民館、学習センター。こうした文化・教育に関わる施設を「社会教育施設」と呼ぶ。この分野は次世代を担う若者たちの教育、調べもの支援、文化の伝承、観光、生きがい・居場所作りにも貢献する。

一方で、文化・教育行政は民間ビジネスのように収益化しにくい。たとえば、博物館で「モナリザ」等の著名な作品をレンタルするには、高額な費用や長期的な交渉が必要。保存に関わる維持費、土地の固定資産税、博物館の運営費等々、出費の方が圧倒的に多い。それで収益になるのが入館料くらいか。もしこれが民間であれば、収益化のために今より入館料は大幅に値上げされて気軽には入れなくなるだろう。学習センターの講座料と民間のカルチャセンターの料金の比較をしてみれば違いがわかる。
他にも図書館が有料になったら使うのか問題がある。有料化すれば子どもは気軽に入れなくなる、来れる人と来れない人との格差も出てくる。


本来、教育は生きる糧を養うというか、学ぶ力は困難に立ち向かう・改善する力であるし、技術を身に付ければお金を稼ぐ力になる。だから、本当は特に若年層に教育の資金を出して、将来に投資する、貧困の連鎖(親が貧しいと子どもも貧しい)を立ちきることが最優先なくらい大切なことだと思っている。


ただ、やはり行政の財政難、社会問題の多様化・困難化、税金を納める働き世代は減少、その一方で社会保障費はどんどん増加する。
このような状況ではどうしても「切られてしまう部分」というのが出てきてしまう。それが、文化・教育行政。文教関係費である。これは学校教育や科学技術の発展にも使われる。

文化・教育行政は、ハコモノだけではなく、研究という面でも厳しさが続いている。日本の研究費が少なく、海外に逃亡する研究者すらいる。たとえ学位を取ったとしても、ポスドク問題、高学歴ワーキングプア、ピペド(使い捨て研究員)の存在であったり、本来であれば未来への投資があるべきはずなのに、切り捨てられてしまう者がいる。

そういう意味では、社会教育施設の「専門職」である図書館司書や学芸員は、もはや絶滅危惧種と言っても過言ではない。

学芸員や司書の専門性といえば、資料の収集、保存、修理、本やモノに対する知識とその還元、接客力・経営力と多々ある。体力勝負、知識勝負の世界である。

学芸員は国宝や重要文化財といった一点モノの資料を扱う。それを壊れないように、劣化を防ぎながら、なおかつ一般人に分かりやすいように展示しなければならない。
びっくりすることに、化学反応があるから金属には何を使っちゃ駄目とか、湿度温度はこの資料にはこれくらいだとか、照明は何ルクスとか細かな手法がたくさんあるのだ。耐震のために資料をテグスで固定する方法、土器や巻物の取り扱い、展示企画の設計図作成、解説のための調査・研究、挙げればキリがない。

司書の本の分類は経験によるモノが大きい。たとえば490~499は医療関係の本になるが、ここはもともと決められた分類(日本十進分類表、TRCマーク)上では、うつ病発達障害が混在している。(493.7)
なので、そのまま分類すれば、493.7にうつ病の本がきて、発達障害の本、躁鬱病の本と並んでしまう可能性もあるのだ。厳密に言えば、発達障害は精神病ではないのではないかという問題もある。(周りの目から取り辛いのでは?)
更に493.9は小児医療の本があるため、ここにも発達障害が入る可能性もある。もし何も考えなければ本が飛び飛びになる。(493.7にもあり、493.9にもある。)
そして、障害児教育という分類でくくれば378にも発達障害の本が入る可能性がある。
探す人にとっては、見たい本が一ヶ所に固まっていた方が良いし、かといって障害児という分野で書棚を探している人が目線で見てたら、たまたま発達障害の本に辿り着く需要もあるのである。そこは内容で見て司書の判断次第となる。(あるいはコーナーでまとめる、書棚に493にもあることを示すPOPをつける方法がある)

これは一例の中の一例なので、司書の専門性とは考えれば途方もない。しかし、私はこれを誰かから教えて貰ったわけではなく、何年か試行錯誤をしてみて培った経験からわかったことである。残念ながら、私が入社した段階では先代の方々も館長以外の上司も既にいなかった。みんな辞めていた。いろんなことが一からのスタートだった。その図書館は開館から何十年も経過しているのに、蓄えた知識や技術は全くなくなっていたのだ。これは、官から民へ→安上がり運営・低賃金労働→大量入社・大量退職→継承者がいない、引き継ぎが不十分→専門性が薄まるというモロの典型例だと思う。私が退職した際はマニュアル化して残すようにしたが、それを引き継ぎするのは入社したばかりの新入社員。その子も私が辞めた数ヶ月後に結局辞めたそうだ。果たして技術は残っているのだろうか。




今、文化・教育行政で何が起きているのか。

この先も財政難で厳しい状況は続くし、住民から「いらない!」と言われてしまえば、場合によっては館がなくなる、取り壊しもあり得る。(実際に博物館の取り壊し、閉館する図書館もある)

私は公務員も自主財源を稼ぐのはどうかなんて前に言った。収益化を考えると、博物館や図書館のアミューズメント化というのが一つある。しかし、そうすることで何が起きたか以下のようなケースもある。

テーマパーク化する「鉄道系博物館」の問題点
展示物は娯楽性重視、学芸員は専門知識不足
http://toyokeizai.net/articles/-/191125

専門性が薄まれば(要するに非常勤だらけ、収益重視)、自分の所属する館のモノについてわからないなんてことが起こる。民間で例えれば自分の会社の商品について知らないようなものである。

そもそもこの業界の将来を考える時に、そこに関わる人たちが非正規が大半であったり、入れ替わりが激しかったり、それ以前の問題があまりにも多すぎる。

そして、一般の方々の中でも、図書館?学芸員?どうせ暇なんでしょ、ハコモノは税金の無駄!なくせ!と思われている方も少なくないのではないか。
仕事の中身が見えづらいこと。施設はみんなのもの、資料はみんなの財産という感覚を全員が持っている訳ではない。

もし、将来に図書館や博物館が残っていて欲しいならば、せめて利用することで価値を高める、需要があると思わせる必要があると思う。