白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

3.11

あぁ、もう東日本大震災から7年も経過するのだな。
2011年、私はまだあの頃は引きこもりの幽霊学生だった。当時、東京の実家のベッドの中で横たわっていて、今までにないくらい長時間の激しい揺れに「ついに関東大震災がきたか、死ねるかな」なんて頭によぎったのを覚えている。実際は田舎である福島がとんでもないことになっていた。

私の第二の故郷は福島県。親の出身地が福島県中通り。所謂原発で大きな被害を受けた浜通りではなく、どちらかというと栃木県寄り。
祖母の家は壁に亀裂が入り、隣の家は屋根が倒壊した。近くの土砂崩れで住民が何十人か生き埋めになって亡くなった。なので、津波原発の被害というよりは、家屋の倒壊や土砂崩れ、あとは風評被害の部分が大きい。福島県の面積は日本で3番目に大きいだけあって、県内でも震災の被害の捉え方は変わってくると思う。

中通りでも防災広報が「今日は◯◯マイクロシーベルトでした」と地域全体にアナウンスしてて、やはり原発事故は身近ではあるけれど、災害で祖母の生活が大幅に変化することはあまりなかった。当時祖母は「福島というと原発放射能と思われるようになってしまった。こっちは安全な地域なのに福島県全体が悪者のようにされている。福島は大人しいからみんな黙ったまま死んでった」というようなことを言っていたことがある。
もちろん震災は風化させるべきではない。けれども、私にとっての福島は桃の産地であり、だるまであり、ハワイアンズであり、会津であり、白虎隊である。とら食堂の中華そばは最高。白河ラーメンのちぢれ麺…………。
今や福島と聞けば真っ先に思い浮かぶのが「原発」という人が多いかもしれない。

あの災害から七年経過しても復興は続いている。帰還困難区域の双葉町では、今年の2月に行った調査で元住民の6割が町に戻るつもりはないと回答していた。戻りたくても戻れない事情もたくさんあるだろう。役場の職員も大変だ。地方公務員の仕事は住民ありきなわけだから、地域を繋ぎ止めることは想像以上の苦悩があるだろう。

公務員志望者の中には震災対策がしたいという方はかなりいる。首都直下型地震南海トラフ、来るよ来るよと言われている災害はたくさんある上、受験生自身がそもそも被災者のケースもある。
私は、阪神・淡路大震災の被災者と予備校で会ったことがある。当時赤ちゃんだった子が、今は22歳くらいになっていて、東京に上京してきているのだ。驚いた。そして、東京のために首都直下型地震に備えて防災対策がしたいと言うのだ。彼女は東京都に合格していった。

東京にいると、まるでみなが首都圏に住んでいる感覚にとらわれる。インターネットの文章も標準語ばかりだから余計そう思ってしまう。亡くなった祖父は、福島(ふくしま)と書いて福島(ふぐすま)と発音していた。実際は地方や地域がたくさんあって、こうしている間に個々の人生は嫌でも進んでいっているんだなぁ。

だから、私が七年も経過したのにまだ復興は続いている、なんて感想を述べたとしても、そこに関わっている人の人生は一行でなど表せないし、知らないところでいろいろなことが進んでいるのかもしれない。

それでも私の中では福島が第二の故郷であることは変わりがないのだ。 不思議だ。