白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

生きる権利と死ぬ権利

憲法で生きる権利が保証されているのであれば、果たして死ぬ権利は認められるのか。いや、現状では安楽死(尊厳死)には制限がある。

私は小学生の頃には既に「若いうちに死にたい」という願望があった。中学生の頃の授業で作ったライフプランでは人生の絶頂期である33歳で自殺することになっていた。その計画によると、私は今頃作家になっている予定だったので、恐らく今後も計画通りに進むことはないだろう。私が若くして死ぬことは二度と叶わない。嫌でも人生は続いていく。

たぶん私のしにたいは、普通のしにたいと少し違うような気がする。

人生が辛く辛くてしにたい、とか
生きる希望がなくてしにたい、とか
借金かかえて、お金がなくてしにたい、とか。

そういうのではなくて、ただ生きるのがめんどうくさいのでしぬ、もう十分生きたからしぬ、というような満ち足りた気持ちに似ている。

死にたいという感覚もやはりちょっと違うような気がしていて、昔のような死にたいという願望的なものでなくて、もはや日常的な行為の延長のようなとても自然なもので。そうだ、燃え尽きたような感覚に近いかもしれない。こういうのをバーンアウト症候群というらしい。どんな状態にも診断名をつけたがる最近の精神・心理学会には落胆ですわ。

いろんな意味で蛇足な状態だと感じる。今の人生も、今のブログも。

とても穏やかで充実していて幸せなはずなのに、どこか足りない。理想ではない。私が本当にしたいことは……。


そうこうしてるうちにまた足が動いて、図書館に行ってしまった。気がついたら0門の前に立っていて、JLAの図書館情報学シリーズを一式引き抜いて、全部借りた。もう良いじゃないか、と思う気持ちもたくさんある。けれど、もう一度だけ戦ってみようと思う。これが本当の最後だから。