白と黒の境界線

日々徒然をネットの隅に残す記録簿 気まぐれに更新中

楽しいことを増やしたい

前職の後輩と久しぶりに会った。彼は今広告代理店に転職して多忙な日々を送っている。もともとフットワークが軽いタイプで、前職時代からいろいろなところに顔を出すような人だった。私が仕事を辞めた時もわざわざ渋谷で2000円もする洒落乙ランチを奢ってくれて、自分をいずれ転職するという話を聞かせてくれた。一度「なんでそんなにいろんなところ行ったりするの?」(オブラートに包んでいるが、何故そんなに軽いの?という意味)を聞いたことがあった。彼は「人生つまらないから、いろいろやってみているだけ」と答えた。今となっては、それも一理あるなぁと感慨深く思う。

やはり普通にしていたら人生はくだらないまま終わってしまう。戦う哲学者の中島義道は、哲学者にならなかったら、くたびれたサラリーマンになって路地裏に座り込んで哲学したいとかなんとか言っていた。私も昔は平凡なOLになって、ただ淡々とした日常を送りたいと思っていた。あれだけ欲しかった普通の日常なのに、実際に手に入ると想像以上につまらないものに感じてしまう。

楽しいことを自分から見つけないと、どんどん腐ってしまうような気がする。

最近は映画を見るようになったり、先週はアイドリッシュセブンのファーストライブを見に埼玉まで行ってきた。種村有菜大好きなのでアイドリッシュセブンはリリース前からチェックしていた。ライブは本当に最高だったし、また行きたい。でも、こういうのは一時の楽しさだから、先に繋がることがない。終わって家に帰ってきたらむなしさも同時に込み上げてきて、もっと違うこともやってみなきゃなぁと思った。

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アイドリッシュセブン ファーストライブ 池袋駅の様子

で、私は前職時代に郷土博物館の館長さん(歴史研究家でもある)と協同で地名辞典を作成している。その時に地名の楽しさや調べる面白さを知った。またこういうのやりたいなぁ。地名って不思議なもので、例えば東京周辺には「武蔵」がつく駅は多い。武蔵小杉、武蔵中原武蔵新城武蔵溝ノ口、武蔵新田、武蔵小金井。恐らくこの一帯が昔「武蔵国」だったことからきているのではないか。昔からある地名と新しく作られた地名は特徴あって、例えば横浜市美しが丘(駅名:たまプラーザ等)なんてのは、完全に最近の土地開発で作られたお洒落地名。旧地名には「神隠」や「餓鬼塚」や「地獄田」等がある。オフィスビルが立ち並ぶキラキラ街の東京港区なんかも江戸や明治には所謂「貧民窟(スラム)」だった地域もある。
谷や田が名につくところは、元は湿地や低地の可能性が高い。渋谷、目黒、世田谷、大田周辺も元は農村地帯で、村と村がくっついて都市になっている。若者の街は、かつては渋谷村の百姓が住む街だった訳だ。
似たような地名が全国にはたくさんあって、東京にもある「八丁堀」を広島の路面電車で見かけたことがある。隣駅は「胡町」と書いて「えびすちょう」と読む。決して恵比寿ではない。異なる場所と地域で同じ地名が発生するって面白いなと。考えることは全国共通なんだ。
地名は当て字になっている場合もあるから、武蔵国なんかも昔は「胸刺」、「無邪志」と文献によっていろいろ表記が違ったりする。全国で地名を統一しよう、できるだけ縁起の良い字でね、という動きがあって、今に繋がっているという流れもあって……。

また長くなってしまった。しかし、こういう知識があっても現実で話すことも使うこともないんだよなぁ。

こないだ白川郷に行った時も、独身男性と使用人が同じ部屋に住んでいて、大家族の中での扱い面白いなと感じたんだよなぁ。白川郷の家族形態は特殊で、一家の長男しか家族が持てないので、未婚の兄弟が家で働いている、おまけに茅葺きに30人も住むという不思議な生活をしていた。今の家族形態は別に日本の伝統でもない訳で、この辺の家族論、民俗学、フィールドワークもやりたいんだよなぁ。

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独身男性と使用人の部屋。右の開いた窓から夜な夜な「かまど」の火の見張りをしていた。

本格的に考古学や民俗学の研究会入るかなぁ。楽しくなるのだろうか。

今月は大学院の説明会に行く。こんなんやっても何か楽しくなるかはわからない。とにかくやってみるしかないのかな。体が動く内に何かやりたい。楽しいことを増やしたい。